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【ベスト5】2022年今年読んでよかった本

2022年は、「読書の幅が広がった年」だった。

昨年のベスト5記事を振り返ってみると、その年に出版されたタイムリーな書籍をよく読んでいたことがわかる。 話題の本はつい手にとってしまいがちだが、反面「消費的な読書」になっていることが気がかりだった。

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そこで、4月頃からオンラインの読書コミュニティーを活用して、なるべく「長く読まれている本」に触れるようにしてみた。 読書会参加を重視していたので、後半はブログ更新が止まってしまったが、読んだ本について話すことで「消費的な読書」からは幾分か開放されたように思う。

今年読んだ本の中から、特に印象に残った5冊について紹介する。

料理と利他

料理家である土井善晴さんと政治哲学者である中島岳志さんとの対談集。 「家庭料理」を通じて見えてくる世界を、二人の専門家が精通されている思想をもとに丁寧に解き明かしていく。 対談集なのでさらっと読めるような内容かと思いきや、哲学的な話題にまで踏み込んでいて奥が深い。

土井先生が「家庭料理」に興味を持ったのは、京都の河井寛次郎記念館へ行って、民芸の美しさに惹かれたからだという。 無名の芸術である「民芸」と、家事労働としての「家庭料理」は似た性質を持っているのではないか。 この発見から、ご自身が提案されている「一汁一菜でよいという提案」につながっていくのだ。

もうひとつのキーワードは、「利他」である。 地球環境のような大きな問題に対しても、料理を通じて利他的に考えることができるようになるという。 例えば食材を調達する場合。地のものか海外からの輸入品か、包装材は何を使っているか、どこまでを廃棄するかなど、意外と勘案すべきことはある。 食材選びなんて日々の何気ない行動ではあるけれど、その些細な選択が私たちの住む地球環境と密接に関わっている。

本書を読んでから、料理に対する心構えが変わった。 具体的には、できるだけ地の食材を活用して、廃棄物を少なくして、素材の味を引き出すようなシンプルな料理を試みるようになった。 「家庭料理」に対する価値観を変えれば、地球環境にも家族の健康にもいい生活が送れるはずだ。

自身のライフスタイルについて、考え直すきっかけを与えてくれたような良書だった。

人間のしがらみ

今年最も印象に残った小説は、サマセット・モームの『人間のしがらみ』だった。 シェイクスピアの翻訳で著名な河合祥一郎さんの翻訳で読めるということで、大長編にチャレンジしてみることにした。 ちょうど7月頃から9月頃にかけて、暑い夏にゆっくりと時間をかけて読み進めた。

モームは『月と六ペンス』が大好きな小説なので、こちらも期待していた。 主人公フィリップの半生と自分の半生を重ねながら読んだ。 生まれてからずっと苦労続きであったフィリップには、重ねたくなる部分が多々あった。 悪女ミルドレッドの存在も、詩人クロンショーの存在も、自分の半生を振り返れば「似た人」を発見する。

この小説を30代の半ばで読むことができてよかったと思う。 20代では早すぎたし、40代では遅すぎた。 古典的な名著であっても、きっと「読むべき時期に読む」ことで響き方は変わってくるのだろう。

また来年も、長編小説の古典にひとつチャレンジしたいと思うようになった。 大長編は、年にたくさん読む必要はなく、印象に残るものが1冊あれば十分なのかもしれない。

現代経済学の直観的方法

経済学部を卒業しているものの、実社会で使わない学問の知識は錆びついて忘れてしまう。 10年経って学んだことを思い出したいということもあり、1冊で大学で学ぶ知識を「直感的に」得られるという謳い文句につられて本書を手にとった。

第1章から、とにかくわかりやすくておもしろい。 経済学の主要トピックを、教科書的な説明の方法ではなく、あくまで主観全開でざっくり説明する。 専門家の方々からすれば、的を外していることも、削ぎ落とし過ぎと感じられる部分もあるのだろう。 けれども、「直感的に捉える」ことを目標とするならば、これ以上の経済学の本には出会ったことがない。

  • 資本主義とは
  • インフレとデフレのメカニズム
  • 貿易が拡大する理由とは?
  • ケインズ経済学とは何か?
  • 貨幣の本質とは?
  • なぜドルは強いのか?
  • 仮想通貨(暗号資産)とブロックチェーンとは何か?

毎日の経済ニュースを理解するにも、これだけのテーマを抑えておけば見え方が違ってくる。

第10章の「縮退」に関する理論に関しては、さらに賛否両論があるだろう。 物理学の理論をそのまま経済にも当てはめることができるのか。 懐疑的な見方になる部分もあるが、頭のキレる人からひとつの思考法を学んだような気持ちになれる稀有な入門書と感じた。

経営リーダーのための社会システム論

2022年は戦争に襲撃事件にと社会が揺れた一年だった。 先月も本書の著者である宮台真司さんが一般人から襲撃を受けたとのニュースがあった。 幸い命はご無事だったようだが、実名で社会的なメッセージを公表することがリスクを抱える時代になりつつある。 政治家や専門家が自由に発言できなくなる社会に、未来などあるだろうか。 あらためて「社会の構造」に目を向けたくなった。

本書は、野田智義さんと宮台真司さんが創設されたビジネススクール「至善館」の講義録である。 二人の長年の研究により蓄積された「日本社会の構造論」について学ぶことができる。

テーマは「社会の底が抜けているのはなぜか」である。 社会学を学ぶということは、同時に資本主義と向き合うということでもある。 「安全、快適、便利」なのに、なぜ生きづらいのか? 現代社会の抱える根本的な問題について考察を進めていく。

最終章では、「底が抜けてしまった社会」でどう生きていくべきか、経営リーダー層に向けたメッセージが語られる。 私たちにもできることはきっとある。着実に一歩ずつやれることをやっていくべきだ。 リーダーたちを先導し、社会的を変えていこうとする人が襲われる社会など、許容していてはいけない。

奇跡の社会科学

前述の本で社会学に興味を持った。 新書で社会科学の系譜をざっくり学べそうな本がタイムリーに出版されたので、手にとった。 中野剛志さんは、『奇跡の経済教室』シリーズもわかりやすく愛読していたので、この人が社会学を説明してくれるのなら間違いないだろうと思ったのだ。

取り上げられている人物は、どれも興味深い人ばかり。

  • マックス・ウェーバー「官僚制的支配の本質、諸前提および展開」
  • エドマンド・バーク『フランス革命の省察』
  • アレクシス・ド・トクヴィル『アメリカの民主政治』
  • カール・ポランニー『大転換』
  • エミール・デュルケーム『自殺論』
  • E・H・カー『危機の二十年』
  • ニコロ・マキアヴェッリ『ディスコルシ』
  • J・M・ケインズ『雇用・利子および貨幣の一般理論』

本書から派生して、エドマンド・バークやトクヴィルの書籍に興味を持った。 原典は私の知識ではまだ読み解くことは難しいものの、政治思想のご専門である宇野重規氏の入門書なども読んでみて、民主主義や資本主義について再考するきかっけを与えてもらった。


ベスト5を振り返ると、「未知の分野を学ぶ楽しさ」に目覚めた1年だったのかもしれない。 タイムリーに出版された書籍であっても、ベースとなる知識があれば著者の主張がより深く理解できるようになる。 ただし古典を読み解くには相応の知識量が必要で、限られた時間の中ですべての学問に目を通すことなどできない。

来年は深堀りしたい学問を絞ることで、もう少し専門性を深めていきたいと考える。 料理家の土井先生が「家庭料理を通じて利他を考える」というような芸当ができるのは、料理家として懐石料理の世界で修行されてきた経験があるからだ。専門性は一朝一夕に身につくものではないし、現場経験を通じて着実に学んでいくしかない。

興味を持ちたいテーマは下記の通り。

  • コミュニティ論や利他学など、近年の動向
  • 東洋思想と日本思想のざっくりとした理解
  • 社会科学(保守思想、民主主義)の深堀り

これに加えて、古典的な長編小説を1冊読み切りたい。 2023年も、引き続き読書会やブログなどは継続しつつ、読書ライフを楽しんでいきたい。

【書評・感想】『陰翳礼讃』(谷崎潤一郎・著 大川裕弘・写真)

パイ・インターナショナル社から出版されている「ビジュアルブック」が評判がよいということで、 谷崎潤一郎『陰翳礼讃』を手にとってみました。

陰翳礼讃

陰翳礼讃

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英訳版タイトルは『In Praise of Shadows』。こちらの方が直接的な表現で意図が伝わりやすいです。 谷崎の本はどれも最初は格式高い日本語にたじろぐのですが、読んでいくと魔術に取り込まれたように病みつきになるんですよね。不思議な作家です。

写真家・大川裕弘が谷崎の文章にあわせて写真を掲載していて、陰翳礼讃の世界観がより視覚的にイメージしやすい仕上がりになっています。 写真も光と影を活用したアートであることには違いなく、太陽の光をどこまで入れ込むかによって、同じ景色でもまったく仕上がりが変わってきます。
(よく日の出や日の入りは「ゴールデンタイム」と呼ばれます。)
そういう意味では、光と影の表現は、「文章」よりも「写真」が得意とする領域なのかもしれません。

そこをあえて文章のみで表現したところに、この本の魅力がつまっているといえるでしょう。 この記事では、紹介されているテーマの中でも気になったものをいくつか取り上げてみます。

目次

紹介されているテーマ

西洋から輸入された文明の利器について

文明の利器を取り入れるのにも勿論異議はないけれども、
それならそれで、なぜもう少しわれわれの習慣や趣味生活を重んじ、
それに順応するように改良を加えないのであろうか

照明、暖房、そして便器など、西洋から輸入された文明の利器について語られます。 もう少し日本人の趣味趣向にあった形で進化すればよかったのにと嘆いています。 西洋人が頭から不浄扱いした「厠」でさえ、日本人は「風流あるもの」に変えてしまったといいます。

「さえば日本の建築の中で、一番風流にできているのは厠であるとも云えなくない。」

廁、絶賛です。 今となっては、かえって「別棟にある廁」など面倒で嫌う人の方も多そうですが。 戦後になると照明や暖房などが「品質の良い日本製品」としてもてはやされたのも、皮肉ではあります。

声や音楽における「間」について

蓄音機やラジオにしても、もしわれわれが発明したなら、
もっとわれわれの声や音楽の特長を生かすようなものが出来たであろう。
(中略)
話術にしてもわれわれの方のは声が小さく、言葉数が少く、
そうして何よりも「間」が大切なのであるが、
機械にかけたら「間」は完全に死んでしまう。
そこでわれわれは、機械に迎合するように、却ってわれわれの芸術自体を歪めて行く。
西洋人の方は、もともと自分たちの間で発達させた機械であるから、
彼等の都合のいいように出来ているのは当たり前である。
そう云う点で、われわれは実にいろいろの損をしていると考えられる。

20世紀に入っても日本に音楽が輸入されなかったとしたら。 例えばビートルズが流行らなかったり、黒人音楽であるジャズが入ってこなかったとしたら。
きっとまるっきり違った音楽文化になっていたでしょう。
けれども、「話術」に関しては今の時代でも理解できる部分はあります。 声が小さく、言葉数が少く、間を大切にする。 日本語は力強い演説には不向きですが、場に溶け込むにはよくできた言語ではありますね。

器物について

われわれは一概に光るものが嫌いと云う訳ではないが、
浅く冴えたものよりも、沈んだ翳りあるものを好む。
それは天然の石であろうと、人工の器物であろうと、
必ず時代のつやを連想させるような、濁りを帯びた光なのである。

西洋人は食器にも銀や鋼鉄やニッケル製のものを用いてピカピカに磨くが、われわれ日本人は「光るもの」を嫌うといいます。 東京に住んでいた頃、合羽橋の陶器屋へ行っていくつか食器を買いましたが、「形が均一でピカピカのもの」よりは「形が不揃いで手道具感のあるもの」を好みました。 なので谷崎のいう美的感覚がわからなくもないですね。

先日「柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年」と題された展示会がありました。 100年経っても民芸の価値が再評価されているのも、日本人に馴染み続けるものだからかもしれません。

料理やお菓子について

かつて漱石先生は「草枕」の中で羊羹の色を賛美しておられたことがあったが、
そう云えばあの色などはやはり瞑想的ではないか。
玉のように半透明肉待った肌が、奥の方まで日の光を吸い取って、
夢みる如きほの明るさをふくんでいると感じ、あの色合いの深さ、複雑さは、西洋の菓子には絶対に見られない。
クリームなどはあれに比べると何という浅はかさ、単純さであろう。

クリームのディスりっぷりに笑っていまいました。
生クリームとあんこの入ったどら焼きなど、どうなってしまうのでしょうか。 それはさておき、確かに羊羹は深みのある色づきをしていますね。

あのねっとりとしたつやのある汁がいかに陰翳に富み、闇と調和することか。
また白味噌や、豆腐や、蒲鉾や、とろろ汁や、白身の刺身や、
ああ云う白い肌のものも、周囲を明るくしたのでは色が引き立たない。
(中略)
かく考えてくると、われわれの料理が常に陰翳を基調とし、
闇というものと切っても切れない関係にあることを知るのである。

照明を落とした空間のほうが料理が美味しく見えるということがあります。
これは和食に限らず、洋食でもレストランでは演出として間接照明がよく利用されている様子をみかけます。
和食は淡白なものが多いので、単純に明るすぎる照明では料理がコントラストで負けてしまうということもあるのだと考えます。

なぜ暗がりの中に美を求めるのか

案ずるにわれわれ東洋人は己れの置かれた境遇の中に満足を求め、
現状に甘んじようとする風があるので、暗いということに不平を感ぜず、
それは仕方のないものとあきらめてしまい、光線が乏しいなら乏しいなりに、
却ってその闇に沈潜し、その中に自らなる美を発見する。

われわれ日本人は、日常に美を見出すのが得意だということでしょうか。
前出の厠もそうですが、「なんでもないものをいかに美しく見せるか」ということにこだわる人種なのですね。 生花にせよ、茶道にせよ、常に「引き算の美学」を感じます。

われわれの思索のしかたは、とかくそう云う風であって、
美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳のあや、
明暗にあると考える。

なんとカッコいい表現でしょう。
「陰翳のあや」。いつか使ってみたい。
この文章には、本書で谷崎が伝えたかったメッセージが詰まっているように感じました。
日本人の思索そのものに、陰翳や明暗といったコントラストによる対比を取り入れる文化が根付いているのかもしれません。

まとめ;美意識にも切替えが必要

『陰翳礼讃』は谷崎自身が他のエッセイでも述べているように、「西洋人に向けて」書かれたという部分が大きいと考えます。
そのためか、日本の美意識についてかなり贔屓目に書かれている印象を受けます。

言うなれば、ちょっと頑固なおじいちゃんから「昔の日本文化はよかったんじゃよー」と説教を受けているような気持ちになる面もあります。
懐古主義のおじいちゃんが同じ話ばかり繰り返すなら耳を塞ぎますが、海外でも読まれる続ける名著だけあって、とにかく文章表現がカッコいいです。 なので、スルッと最後まで読めてしまいます。

本書を読んでみた感想としては、美意識には切替えが必要だということです。日本の寺社仏閣などを訪れて、古来の日本文化を楽しむのであれば、本書のような楽しみ方は必要かもしれません。
けれども西欧文化が輸入されて100年以上たった今では、「西洋的な美」も十分に生活に溶け込んでいると考えます。

この文章はMacBookで書いていますが、谷崎が現代に生きていればApple社のデザインをどう評価したでしょうか。

「禅の趣を感じる」などと肯定的だったでしょうか。
それとも、「アルミニウム素材が均一で無機質すぎる」と評価したでしょうか。

プロダクトデザインに関しても、もはや「日本の美学」一辺倒では語れない時代になっています。
けれども、日本人として、日本古来の美を保ち続けていくためには、「陰翳のあや」を知っておく必要はあるでしょう。

以前に、本書でも写真が採用されている長谷寺を訪れたときのことです。
本堂を両側から眺められるようになっており、奥に見える景色が緑に色づいていて見事なコントラストを成していました。

このような風景をみて「美しい」と感じるのは、日本人ならではの感性でははないかと考えます。

▼長谷寺本堂(2021年4月後半撮影) 長谷寺本堂

いずれの国の文化風土を楽しむにせよ、「日本人らしい感性」はずっと大事にしていきたいですね。

2022/06/19

<参考文献>
文:谷崎潤一郎 写真:大川裕弘『陰翳礼讃』(パイ・インターナショナル、2018)
谷崎潤一郎『陰翳礼讃』(角川ソフィア文庫、2014)

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【ネット試験特化】日商簿記2級に一発合格するためにやったこと

日商簿記2級

先日、日商簿記検定2級のネット試験を受験し、無事一発合格することができました。 合格に至ったポイントは、2020年12月から導入されたネット試験(CBT方式)に特化した勉強法にシフトしたことだと振り返ります。

ネット試験については、商工会議所のQ&Aにある通り、「合格証は紙の試験と同等の価値を有する」と明記されています。

日商簿記検定試験(2級・3級)ネット試験について | 商工会議所の検定試験

ネット試験受験に関しては、多数のメリットがあります。

  • 受験日時をテストセンターの予約状況により自由に選べる
  • テストセンターが近所にある可能性が高い
  • 紙の試験のように勘定科目を手書きする必要がない
  • 合格率にブレが少なく、難易度が平準化されている

このような理由から、ネット試験を受験しない手はないと考え、これに特化した勉強法で望むことにしました。 具体的に、やったことは下記のとおりです。

順番に説明していきます。

教材をクレアールからパブロフ簿記に乗換えた

当初はYoutuber両学長もオススメしていたクレアールの通信講座で勉強していました。

www.crear-ac.co.jp

ちょうど3級も復習も兼ねて受講したいと思ったので、2,3級コースを申し込みました。キャンペーンで33,000円ぐらいでした。 テキスト、問題集に加え、講師の動画に過去問もついてくるので、当初は教材はこれだけで十分だろうと考えていました。

実際、3級の復習まではクレアールのテキストだけで全く問題がなく合格できました。 (学生の時に合格して以来、10年ぶりの受験でしたが、難易度は上がっていると感じました)

しかし、いざ2級の範囲に入ってみると、初見でけっこう難しい問題も混じっています。 特に商業簿記の論点は複雑なものもあって、解説が詳しくない場合などは別途講師に質問するなどの方法を取らなければ疑問点を解消できませんでした。 この解説は自分に合っていないのかも〜、とも思い始め、他のテキストへの変更を検討することにしました。

そこで試みたのが、簿記アプリやネット試験模擬問題などで評判の高い「パブロフ簿記」教材への変更でした。 総仕上げ問題集の解説もすべて「下書き」つきで解説してくれていて、難しい問題も解説を読めば理解できました。 試験の3ヶ月前には、問題集、アプリ、模擬問題とすべてを「パブロフ簿記」へ統一して勉強を進めることにしました。

パブロフ教材が優れていると思った点は、下記のとおりです。

  • 簿記アプリで仕訳特訓ができる。
  • 総仕上げ問題集は、著者の下書きつきで解法の手順が理解しやすい。試験でどのような下書きを書けば良いか理解しやすい。
  • ネット模擬試験が充実している。
  • 難易度の高い論点(税効果会計、連結会計など)に関しては、You Tube動画の解説がある。
  • 勉強している上でつまづきやすい論点は、WEBページで解説がある。

簿記2級のテキストは充実しているので、好みでどれを使っても問題ないでしょう。 ただし、近年導入されたネット試験に特化した対策を取るのであれば、パブロフ教材は非常に相性が良いと考えます。 各教材の具体的な活用法について、時系列に沿って紹介していきます。

【試験半年前】スキマ時間は簿記アプリで仕訳を特訓する

簿記の問題が解けるようになるには、商業簿記・工業簿記とも「仕訳が瞬時に書ける」ことが合格への近道です。 そこで移動中や空き時間にスマホを触れる時間があれば、パブロフの簿記アプリを起動して1問でも多く仕訳問題を解くことにしました。

pboki.com

この簿記アプリが優秀で、下記の点で重宝しました。

  • 商業簿記は難易度を1〜3段階に分けてくれている
  • ランダム、チェック問題のみなど多様な方法で総復習できる
  • 仕訳の手順を説明→勘定科目の説明と解説が充実している
  • 解説のコピペが可能で、メモアプリへと転記できる(※個人利用に限る)

まずは難易度1〜3まで順番に解いていきます。1周目は全く歯が立たなくて、大部分の問題を間違えます。 けれども、ここで挫折してはいけません。解説を読みながら、学習を続けていきます。 アプリの解説は充実していて、仕訳の考え方を説明した後、勘定科目の注意点なども詳細に掲載されています。 この解説をiPhone純正のメモ帳に転記しておき、デジタル版間違いノートとして活用していました。

アプリを何周もしていると、問題を見ただけで瞬時に仕訳が思い出されるようになってきます。 この段階まで来ると、総合問題なども格段に解きやすくなり、問題を解くスピードが一気に上がります。

やはり簿記の勉強は仕訳特訓に限ると感じました。 今ではスキマ時間に簿記アプリを起動することもなくなり、手持ち無沙汰に感じるほどになりました。

【試験3ヶ月前】総仕上げ問題集の「基礎」問題を徹底的に叩き込む

まずは総仕上げ問題集の商業簿記と工業簿記を購入して、工業簿記から順に取り組み始めました。 工業簿記の方が問題集が薄く、またパターンさえ覚えてしまえばどんどん解いていけるので、とっかかりやすかったです。 (商業・工業の得手不得手は人によるでしょうが、現行の日商簿記2級の出題範囲では、明らかに商業簿記の方が範囲が広いです。)

総仕上げ問題の中でも特に有用だったのが、難易度を「基礎」と「応用」と2種類に分けてくれていることでした。 商業簿記の第1問・仕訳問題は「基礎」「応用」関わらずすべてに目を通しましたが、他の単元は「基礎」の問題を完璧にマスターすることに時間を使いました。

理由は、120分で考えさせる問題の出題される紙の試験と比較して、ネット試験では基礎的な問題を短時間で解く方式へと変更されたという情報をキャッチしたからです。

youtu.be

応用問題を解くと基礎問題への理解が深まるので、1度は解いておくべきでしょう。けれども、中には理解にかなりの労力を要する問題もあり、ネット試験ではそこまでを要求されない場合が多いです。 そのため、難易度の高い応用問題については解けなくても解説を読む程度にとどめました。

【試験1ヶ月前】ネット模擬試験6回分を受けて実践のスピードに慣れる

試験1ヶ月前になってからは、パブロフ問題集に付録としてついている「ネット試験模擬問題」を実際にブラウザでアクセスして解いてみました。 このネット試験のUIも良くできていて、本番試験で戸惑うこともほとんどありませんでした。 (本番試験ではマイナス表記すると”△”表示となったが、違いはこれぐらいだった)

総仕上げ問題集とアプリを購入すると、商業×2回、工業×2回、アプリ各1回と合計6回分の付録がついています。 総復習の意味もあり、すべて90分の制限時間内でといてみて、70点以上を確保できるように仕上げました。

ネット模擬試験の数をこなすことによって、①90分というスピードに慣れること ②ネット試験での出題形式に慣れること ③自分の苦手な単元を知ること ができました。

【試験直前】試験直前は間違いノートの作成と見直しに時間を使う

試験数日前からは、「間違いノート」の作成と見直しに時間を使いました。 「間違いノート」には、各テキストで間違えた問題とその解法を転記していきます。 具体的には、前述した ①簿記アプリの仕訳 ②ネット模擬試験で間違えた問題 ③総仕上げ問題集の基礎単元で間違えた問題 を中心に転記しました。

「間違いノート」を作成すると、自分の苦手分野が何か明確になってきます。 私が何度もミスして苦手としていた論点は、以下の通りです。

<商業簿記>
* その他有価証券の税効果会計
* 外貨建取引の為替予約
* 有価証券の端数利息
* 利益準備金の積立
* 契約資産、保証債務など追加された細かい論点
* 連結会計のアップストリーム

<工業簿記>
* 個別原価計算(下書きを間違わず書くことが苦手)
* 製造原価報告書と損益計算書の「原価差異」の扱い

つまづきやすい単元については、パブロフ簿記のWEBサイトに注意点がまとめてあるので重宝しました。

pboki.com

【今後】日商簿記2級を取得して

日商簿記2級は独学で勉強できるギリギリのラインの試験であると感じました。 これ以上難しいとテキストや動画教材のみでの独学では厳しく、講師の存在や同じ目標を持って勉強に励む仲間がいなければ途中で挫折していたかもしれません。

資格取得によって毎日勉強する習慣も生まれ、簿記の知識が身についた以上に得られたものは大きかったです。 勉強に充てていた時間がすっぽり空いたので、次に何にチャレンジするかはゆっくり検討したいと思います。

これから簿記を勉強しようとしている方の、何かの参考になればうれしいです。

以上、お読みいただきありがとうございました。

2022/06/18

岡寺で厄除け参り ー水面に浮かぶ天竺牡丹をみたー

「日本で最初の厄除け霊場」との由来のある岡寺へお参りしてきた。

岡寺本堂

ちょうど「華の池〜水面に浮かぶ天竺牡丹〜」というイベントが開催中で、 ダリアがいたるところに飾られていて、連休中ということもあって参拝の人で賑わっていた。

公式WEBページ

www.okadera3307.com

岡寺へのアクセス(GoogleMap)

臨時駐車場なども用意してくれていて、車で行っても比較的停めやすい。 私たちは、万葉文化会館を利用して駐車場に停めてから、明日香村を散策しながら歩いた。 明日香村は広々とした棚田の田園風景が広がるのどかな場所で、天気のいい日はハイキングにもってこいの場所だ。

明日香村風景

岡寺仁王門へ到着。 歩いてきたので坂道が急できつかった。 入場料は大人ひとり400円。(2022年5月現在)

岡寺仁王門

中へ入ると、さっそく手水舎に色とりどりのダリアがしきつめられているのをみた。 こういう演出の仕方ははじめてみた。 ビー玉に水が落ちていて、涼しくてもはや初夏のひとときのよう。

手水舎

手水舎2

イベントの表題にもなっている、華の池。 鉢に敷き詰められてたビー玉のブルーが、ダリアの紅やピンクと対照的になっていている。 演出はお寺で考えられているのだろうか。どの方面から撮影しても「インスタ映え」しそうだ。

華の池

華の池2

階段を上がっていくと、「鐘楼」がみえてくる。 ここでは「除夜の鐘つき」ができるようだ。

鐘楼

お線香をあげて、いざ本堂へ。

本堂

お線香

本堂内は撮影禁止となっていたので、写真は撮れなかった。

8世紀に作られた如意輪観音坐像(にょいりんかんのんぼさつざぞう)は、塑像としては日本最大の観音像なのだとか。 確かに目の前に立つとご立派でかなりの迫力だった。

観音様に厄除けしてもらえると思えると、安心できそうだ。

岡寺

ダリアの撮影スポットは他にもいくつか用意されていて、花瓶にきれいに生けられている。 長谷寺のように一本一本を生けるのではなく、花びらを水面に浮かべるという演出が新鮮だ。

ダリア1

ダリア2

この日は天気もよくて、空も青々としていた。 参拝者はカメラを片手に、つかの間の休息を楽しんでいた。

ツツジ

ダリア3

令和4年(2022)の厄年は下記の表のとおり。

前厄 本厄 後厄
41 42 43
昭和57年生 (戌) 昭和56年生 (酉) 昭和55年生 (申)
前厄 本厄 後厄
32 33 34
平成3年生 (未) 平成2年生 (午) 平成元年生 (巳)

厄年にあたらない方でも交通安全や家内安全、身体健全、息災延命などさまざまなお願いごとを御祈願してくださるようなので、 家族や友人と訪れてみてはいかがだろうか。

2022/05/06

【書評・感想】エネルギーをめぐる旅――文明の歴史と私たちの未来(古舘恒介・著)

エネルギー問題を考える上で、画期的なガイドブックの登場だ。

  • 環境問題や再エネ問題について考えてみたいが、どこから手をつけてよいかわからない
  • ゼロ・カーボン社会に向けたの動向について、政治・経済の上辺のトピックだけではイマイチ実態がつかめない
  • 「エネルギーとはなにか」が文系脳には理解できず、再エネについて科学的な知見についていけない

上記を満たすような人で、エネルギー問題に関心がある人がいれば、迷わず手に取るべし。

目次だけをみても、本書がいかに俯瞰的な視点で語られるかが伝わる。

第1部 量を追求する旅―エネルギーの視点から見た人類史
第2部 知を追究する旅―科学が解き明かしたエネルギーの姿
第3部 心を探究する旅―ヒトの心とエネルギー
第4部 旅の目的地―エネルゲイアの復活

歴史・科学・哲学・経済と横断して渡り歩いたあとに、「旅の目的地」として目指すべき帰着点を示すという。 この壮大な構想の本を執筆されたのが、石油会社の技術部長さんというからさらに驚きだ。

著者古舘さんは、「世の中の大抵のことは、エネルギーの切り口で考えてみれば分かりやすく整理でき、腑に落ちるようになる。 」と豪語する。
生涯をかけてエネルギー問題に対峙してきた人の結論には、相当の説得力があるはずだ。

とはいえ、本書の扱うテーマは幅広く、全貌を要約することは難しい。 この記事では、印象に残ったトピックのみ紹介することにする。

熱力学の第一法則と第二法則を学ぶ

「第1部 量を追求する旅」では、エネルギー消費量を飛躍的に増加させることになった事象を「五つのエネルギー革命」と称して紹介している。この1部だけでも新書一冊分程度の分量と知見がつまっていて興味深いが、要は「もっとたくさんのエネルギーを」という人類の脳が持つ欲求が推し進めたものだったという事実を抑え、次の部へと進みたい。

「第2部 地を探求する旅」では、「エネルギーとは何者か」を科学的知見に基づいて解明していく。 ここで物理的な専門用語が並び始めると、私のような「文系脳」はついていけなくなってしまう。しかし、本書はその過程をできるだけわかりやすく、順を追って説明してくれている。

まず学ぶべきは、「熱力学の第一法則」「熱力学の第二法則」である。

熱力学の第一法則──エネルギーは減りもしないし増えもしない
熱力学の第二法則──エネルギーは自然に散逸する

1850年にドイツの物理学者クラウジウスが発表した論文に、熱も運動と同じエネルギーの一形態であり、その総量は保存されることを示した上で、エネルギーには質の問題があることを示した。これが後に整理されて、熱力学第一法則、第二法則として知られるようになった。

第一法則は「エネルギー保存の法則」とも呼ばれ、エネルギーはなくなりもしないが増えもしないことを示している。つまり、無から有を作り出せないということ。 第二法則は、熱エネルギーには一方向性にのみ進む、不可逆性の方向性があるということ。

具体的な例としては、3つ紹介されている。熱いお湯はやがて冷めるが、冷たい水が自然に熱くなることはない。川べりで石ころを蹴飛ばすと、最初は勢いよく転がるがやがては摩擦で熱が放出され、停止することになる。エアコンや冷蔵庫を使うと、内部の熱エネルギーを電気エネルギーを使って外部に運び出す(散逸させる)ことにより、部屋(機内)を冷やす。 これらが示すことは、投入されたエネルギーは最終的に質の低い熱エネルギーへと変換されて、(空気中に)広く散逸するということ。

river stone

熱力学第二法則のシンプルなメッセージは、「人類が活用できる質の高いエネルギーは有限でかけがえのないものであり、大切に使わなければならない」ということである。この普遍的な事実が、本書の結論を理解するためのキーポイントになっていく。

第二法則はのちに、「エントロピー増大の法則」としても知られるようなる。 エントロピーとは、一方通行の不可逆過程を経ることによる「乱雑さ」や「散らかり度合い」を示す言葉で、日常に潜むあらゆる減少に「エントロピー増大の法則」を見出すことができる。

最も身近な事例に「時間」の存在があり、時間とはいってみれば過去から現在、未来へと続く一方通行の不可逆過程であると言える。 大ヒットした映画「テネット」で、時間が逆回転する世界を体験することで、エントロピーについて知った人も多かったはずだ。


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この2つの法則は、エネルギー問題と向かう上で、私たちが最低限知っておくべき事実を教えてくれる。 ここに筆者の警告を引用する。

第一に向き合うべきことは、技術革新による問題解決への無邪気な期待を慎むことでしょう。現代に生きる私たちは、情報通信技術の日進月歩の進化を目の当たりにしていることもあり、いかなる問題も最後は技術革新がすべてを解決するような錯覚を抱くようになっています。しかしエネルギーの世界は、熱力学の第一法則と第二法則が支配する世界です。何もないところからエネルギーを作り出す技術、ないしはエネルギーの質の劣化を逆転させる技術、そのいずれもが実現不可能なのです。

エネルギーのもつ「不変の法則」を知ることで、次に「時間」の議論へと進むことになる。

人類のエネルギー消費増大を「時間の短縮」と捉える

人類の歴史とは、「時間を短縮すること」「時間を早回しにすること」に価値を見出してきた歴史である。

五つのエネルギー革命を総括すると、キーワードは「時間の短縮」だったと著者は結論づける。 ここで五つの革命について、抜粋してみる。

第一次エネルギー革命;火の利用
第二次エネルギー革命;農耕生活への移行
第三次エネルギー革命;蒸気機関の発明
第四次エネルギー革命;電気の利用
第五次エネルギー革命;人工肥料の発明

最初に、「火の利用」によって、人類は料理ができるようになり、消化時間が圧倒的に短縮された。
次に、農耕生活への移行によって、食料の貯蓄が可能となり、支配階級が生まれて自由な時間が使えるようになり、文明興隆の原動力となった。
続いて、蒸気機関が開発され、産業革命によって人力や馬力の何十倍もの仕事量をこなせるようになった。
さらに、電気の発明は後の情報処理技術の発展にもつながり、大量の情報を一瞬でやりとりできりょうになった。
最後に、人工肥料の発明で効率的な農業経営が実現し、多くの人が農作業から開放され、余剰時間で新しい産業を発展させた。

このような人類の時間を早回ししようとする欲求を抑えることに、エネルギー問題を解くひとつの鍵があるのではないかという。

身近な事例を思い返してみよう。

例えば呼吸を整えてストレッチやヨガをすることで脳がリフレッシュして、「時間の歩みが体にフィットした」というような感覚に陥ったことはないだろうか。私の場合は仕事帰りに夕方にジョギングすることで、情報過多な社会から開放され、「時間の早回しから開放された」という感覚を取り戻すことがある。

資本主義社会は、人の欲求を極限まで「短縮」することで、いくらでも「早回し」させてしまう。これは人類の歴史を振り返ると異様なことで、その弊害があちこちに出てきている。エネルギー問題はその「時間短縮の弊害」と密接に関わっていて、「再エネ技術の発展」など上辺だけの解決では、根本的な問題は解消されないのだ。

では私たちはこの問題とどう向き合えばよいのか。

森林と同じ「年率2%成長」に人間も合わせる

エネルギー問題の最重要課題は、人為的な気候変動問題である。 これからは、人類の脳の欲求が赴くままに、ただエネルギー消費を拡大するという態度は許されない。

この事実は直近10年でも世界中の人々の認識を変えてきた。 2015年、パリ協定で世界196カ国が「平均気温上昇を2℃未満に抑制する」という目標に合意した。 2020年、日本は「2050年までにカーボンニュートラルを実現する」ことを宣言した。

COVID-19による各都市部のロックダウンを経て、エネルギー消費量は減少するかと思われたが、パリ協定の目標には遠く及ばなかったという残念な結果もある。もはやエネルギー消費に歯止めを利かすことは不可能なのだろうか。

著者は、問題を解く鍵は「森林の持つ自然の成長率」にあるのでは、とヒントを示す。 スギやヒノキは成木になるまでにおよそ50年かかることをもとに成長率を換算すると、年率成長2%になるという。 これはいってみればスギやヒノキの持つ固有のリズムとなるわけで、太陽光をのエネルギーを貯蔵しながら成長するための「自然に適した成長スピード」といえる。

森林

昨今の投資家界隈では、年率平均4%成長のリターンを望める全世界株の投資信託やETFに投資しようという考えが根強い。 資本主義を生きる上で、世界の経済成長に投資することは、最も効率的なリスクヘッジになるというのだ。 確かにこれは資本主義が続く以上は強固な論理かもしれない。けれども、私たちが知っておくべきは、この年率4%という成長でさえ、自然の成長スピードと比較をすると「早回し」をしすぎているということだ。

このスピードで人々が世界経済にどんどん資金を集めるようになれば、やがては森林は過度に伐採され、豊かな森が失われ、環境破壊につながってしまう。だからこそ、自然とのハーモニーを実現しうる「ほどほど」のレベルとリズムを知ろうというのだ。

「粋ではない」という江戸商人的価値観

これまでの問題の根幹が「脳の暴走」にあったとするならば、必要なことは「脳の腹落ち」である。 著者は、この観点から、江戸っ子商人の気質に学んでみるということを提唱している。

江戸っ子の立ち振舞は、「粋(いき)」「気障(きざ)」「野暮(やぼ)」という言葉で表現されてきた。 宵越しの銭を持つことは「野暮なこと」、困っている人がいれば助けるのが「粋である」ということ。見え透いた形で格好をつけることは、「気障である」ということで、これが一番嫌われた。

このような江戸っ子の美意識を持てば、無限の貨幣価値という抽象概念を、うまい具合に変換でき、意識を変えることができるかもしれない。表面的にだけ、「SDGsに沿ってビジネスをしている!」「ゼロ・カーボン社会を目指して環境配慮経営をしている!」と声高に叫ぶことは、単に「気障である」だけかもしれない。

最後に二つほど、具体的に実践できることを紹介している。 ひとつは、お金を媒介としないギブ・アンド・テイクの関係を自らの生活に積極的に取り入れること。 もうひとつは、節約のすすめ、「もったいない」の精神である。

なんだか当たり前のことと言われそうな結論だけれど、これは日本人にも元来根付いた気性であって、それを取り戻すといった感覚に近いのかもしれない。 エネルギーをめぐる長い旅をしてきた著者の、最終章の結論には説得力があるので、ここで引用しておく。

エネルギーの大量消費で成り立っている現代社会の在り様を変えていくには、哲学的な議論を持ちかけて脳に改心を迫るような大きな仕掛けだけでなく、自然と身体が動くような誰でも気軽にできる小さな仕掛けも同じように重要です。その意味で「ギブ・アンド・テイク」と「もったいない」という言葉は、大きな可能性を持っています。何事もお金に換算しようとすることや、取り留めもなく浪費をすることは、環境に悪いなどと言う必要もなく、単に格好が悪いことになればよいのです。「粋」ではない。ただそれだけで十分なのです。

昨年ビル・ゲイツの本を記事にしたが、これは「気候変動問題をイノベーションで解決する」という姿勢で、いかにもアメリカのテック企業的な発想であった。これと比較すると、本書は日本人らしい結論であり、未来へのワクワク感は少ないが、こちらの方が私たちにはフィットする考え方かもしれない。

斉藤幸平先生の主張する「脱成長」とまで極端にいかずとも、「自然と調和した2%成長」はより現実的に目標にできそうだと感じた。

ロシア・ウクライナ情勢を踏まえて、今後はさらにエネルギー資源が希少となり、議論が活発化するだろう。 本書を何度も読み返すことで、ひとつの論調をに傾倒することなく、俯瞰してエネルギー問題をみれるようになっていきたい。

2022/04/17

関連記事など

ビル・ゲイツ「地球の未来のために僕が決断したこと」と比較すると、論調が全く違っていておもしろい。

machiyukimurayuki.com

荒木博行さんがVoicyで取り上げていて、参考になった。

voicy.jp

voicy.jp

【朧月夜の世界】藤原宮跡の菜の花畑をみた

今週は気温20度超えの日が続き、春というか夏のような気候でしたね。 4月中旬にもなると桜も散ってしまうので、お花見も先週あたりがピークだったでしょうか。

春といえば桜の花見ばかり想像しがちですが、 妻が「藤原宮跡まで散歩したら、菜の花畑が一面に咲いていたよ!」と教えてくれたので、天気の良い日の夕刻に見に行ってきました。

桜は葉桜になりかけていましたが、まだまだ綺麗に咲いていて、黄色の菜の花とのコントラストが素晴らしかったです。

見頃のシーズンは過ぎましたが、来年以降の備忘録的に写真を残しておくことにします。

<2022年4月9日撮影>

菜の花畑

藤原宮跡の菜の花情報

最新の情報は橿原市ホームページに詳しく出ています。

2022年 藤原宮跡 菜の花(春ゾーン)開花状況 | 橿原市公式ホームページ(かしはらプラス)

<開花状況>によると、3月中旬頃から咲き始め、4月上旬に満開となるようです。 桜と菜の花の両方を写真に収めるのなら、4/1前後の天気の良い日が良さそうですね。 私は4/9の夕刻に行ってまいりました。

◆場所情報(Google Map)

一面に広がる菜の花畑

車を停めて池を横切ると、一面に菜の花畑が広がっています。 子どもを連れた家族や学生さんが何組か来ていましたが、風情を失うほど混雑はしていませんでした。

菜の花畑

みな思い思いに菜の花をバックにポーズを取り、写真を撮っていました。
春らしい幻想的な写真が取れそうですね。ポートレート撮影にもおすすめです。

菜の花

桜は葉桜になりかけていまいたが、まだまだ綺麗な花を咲かせていました。

葉桜

菜の花1本に焦点を当てて、接写して撮ってみました。 マイクロフォーサーズカメラなので、ボケ感はそれほど出てません。 もう少し玉ボケを出したかったのですが、難しいですね。

菜の花

菜の花畑

朧月夜の世界

次第に日が暮れてきて、遠くに見える山々がかすみ始めました。

菜の花畑に 入り日薄れ
見渡す山の端 霞深し

「朧月夜」の世界です。

 菜の花

夕刻の菜の花畑

夕刻の菜の花畑

そろそろ日の入りを迎えます。

日の入り

夕刻に行くと、写真の表現も広がります。 ドラマチックに空の色が変化していく様子を楽しめます。 色温度を変えて撮ってみました。

日の入り

日の入り

日が落ちきったところで、帰ることにしました。 1時間ほど風景が変化していく様子を楽しみました。

風光明媚な菜の花畑と山々の景色をみながら、過ぎていく春を満喫しました。

来年は桜が満開の頃に出かけたいと思います。

※カメラ、レンズは下記を使用しました。

映画『ドライブ・マイ・カー』をみて、チェーホフ『ワーニャ伯父さん』との交差点について考えた

映画『ドライブ・マイ・カー』を映画館でみたのは、1ヶ月ほど前のことだ。

それから原作である『女のいない男たち』と劇中劇である『ワーニャ伯父さん』を読んでみた。 映画が伝えようとしていたメッセージを、原典にあたることで、より深く理解したくなったのだ。

『ドライブ・マイ・カー』は、物語が幾層にも重なることによって重厚なストーリーを形成している。 村上春樹の長編小説にもこの形態を取るものがあり、私の好きな『ねじまき鳥クロニクル』も、小説の中にノモンハン事件などのエピソードが語られていて、似た構造をしている。

machiyukimurayuki.com

濱口竜介監督はインタビューでも、「村上春樹さんが長編小説でやられている手法を意識した」と明確に語られている。

moviewalker.jp

180分近くある映画にもかかわらず、ずっと集中してみることができ、今でも各場面を鮮明に思い出すことができる。 そんな映画『ドライブ・マイ・カー』の魅力は、いったいどこにあるのだろう。

本記事では私の好きなポイントを、いくつかの点に絞って挙げてみた。

3つの物語の交差点 ー家福の物語、みさきの物語、ワーニャ伯父さんー

映画『ドライブ・マイ・カー』で物語の主軸になっているのは、3つの物語だと考える。

  1. 家福の物語
  2. みさきの物語
  3. 『ワーニャ伯父さん』の物語

家福は妻である音を失い、亡くなる直前に正面から彼女と向き合えなかったことで、後悔の人生を過ごしている。 渡利みさきは土砂崩れによって家と母を失い、母を見殺しにしてしまったことを抱えながら、たどり着いた広島でドライバーをしている。

劇場と宿泊先とを往復する車の中で、家福はみさきの運転を好み、次第に打ち解けていくようになる。 ふたりとも、背負っているものがありながら生きているという共通点を見出し、まるで親子のように、言葉が少ないながらも理解を深めていく。

ふたりの置かれている状況は、劇中劇である『ワーニャ伯父さん』のワーニャとソーニャの関係にそのまま重ねることができる。

ワーニャは、亡き妹の夫であるセレブリャコーフ教授を崇拝してきたが、退職後のひどく落ちぶれた姿に絶望し、裏切られたという気持ちでいる。 ソーニャは、教授の後妻エレーナを目当てに訪問を繰り返す医師アーストロフに恋するが、叶わぬことを知りその運命を受け入れる。

筋立ては多少異なっているものの、人生のある希望を絶たれた状態で生きていく境遇にあるという点で、家福とみさき、ワーニャ伯父さんとソーニャ、という二人の関係は呼応しあっている。

みさきは『ワーニャ伯父さん』の物語を知らなかったが、家福が車で何度もセリフが吹き込まれたカセットテープを再生するので、後半に進むにつれて、そのストーリーやセリフを覚えていくようになる。

家福とみさきの潜在意識のなかに、『ワーニャ伯父さん』のセリフが刻まれていく。 最後の有名なセリフは、劇中劇の中で、聾唖者であるイ・ユナによって”手話”で演じられる。

ワーニャ伯父さん、生きていきましょう。長い長い日々を、長い夜を生き抜きましょう。 運命が送ってよこす試練にじっと耐えるの。安らぎはないかもしれないけれど、ほかの人のために、今も、年を取ってからも働きましょう。 そしてあたしたちの最期がきたら、おとなしく死んでゆきましょう。 そしてあの世で申し上げるの、あたしたちは苦しみましたって、涙を流しましたって、つらかったって。 すると神様はあたしたちのことを憐れんでくださるわ、そして、ワーニャ伯父さん、伯父さんとあたしは、明るい、すばらしい、夢のような生活を目にするのよ。
(『ワーニャ伯父さん』浦雅春訳 光文社古典新訳文庫より引用)

「運命が送ってよこす試練」にじっと耐えて、働き続けないといけない。でもきっと、その先には「明るい、すばらしい、夢のような」生活を目にするようになる。ソーニャがワーニャを癒やして諭したように、みさきも家福の殻に閉じ込められていた感情を呼び起こし、癒やしていく。

これは二人の間に「共通の物語」があってこそ可能だったのだろうと考える。

サーブ900は、物語をつなぐために走り続ける

印象的な赤のサーブ900は、これらの物語をつなぐための場所として、重要な役割を果たしている。 高槻の音と交わした会話の続きも、イ・ユナが家福と音を食事へ誘った理由も、秘密はすべて車の中で話され、物語が展開されていく。

広島市から瀬戸内に向かう海の景色に赤のサーブ900が見事に溶け合っている。 家福が宿泊していたロケ地にもいつか行ってみたいものだ。

mitarai-shintoyo.com

みさきの家を見に行くために、広島から新潟へ向かう。 フェリーに乗って上十二滝村(架空の村)へ向かうと、あたりは雪景色になっている。

瀬戸内海の「青い海」と、「赤のサーブ」。
北海道の「白い雪」と、「赤のサーブ」。

この対比が鮮やかで、原作の「黄色のサーブ」よりずっといい。

終始静かな映画なのだが、サーブ900が走り続けているおかげで、物語が停滞せずに進んでいく。 「ドライブ空間が継続すること」も、映画をずっと集中して見ていられる理由のひとつかもしれない。

Drive My Car Original Soundtrack

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「みさきの未来」を感じさせるラストシーン

みさきが韓国のスーパーで買物をしているラストシーンでは、多くは語られず、解釈を観客に任せる形で映画は結末を迎える。

ここでみさきは赤のサーブ900に乗り、イ・ユナ夫妻の飼っていた犬を連れている。 以前より晴々とした表情で毎日を過ごしている様子が映し出される。

家福の登場シーンは劇中劇でおわり、その先どうなったかはわからない。 過去の自分の感情と向き合うことで、また気持ちを新たに目の前の仕事に打ち込んでいるかもしれない。 けれども、彼はもはや中年で、そこに新しい展開が開かれる可能性は低い。

「みさきの未来」は、それと比べると、ずっと明るいものだ。 家福のドライバーを続けてもいいし、別の仕事をしてもいい。 これからまだ恋愛もできるし、家族をつくることだってできる。 そんな「希望の見える終わり方」をしてくれているおかげで、映画を爽やかな気持ちで見終えることができる。

原作「男がいない女たち」では、「ドライブ・マイ・カー」にせよ、「木野」にせよ、不気味な終わり方になっていて、決して後味のいい短編ばかりではなかった。 その点、映画ではフレッシュな終わり方をしていてよかった。


最後に。

チェーホフ『ワーニャ伯父さん』については、恥ずかしながら映画をきっかけにはじめて知った。 何度も舞台化されている、定番戯曲のようだ。

映画鑑賞後、光文社古典新訳文庫を手にとったところ、古典にもかかわらずスイスイ読みすすめることができた。 劇中劇として演じられていたセリフの意味がわかって、映画のメッセージを深く理解できたように思う。

『ドライブ・マイ・カー』を既に見た人も、これから見る人にも、『ワーニャ伯父さん』にどこかで触れることおすすめしたい。

2022/03/08