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『ゼロからの資本論』から考える地方自治

昨日は統一地方選挙の日でした。 住んでいるエリアが少しでも元気になることを願って、みなさん投票に行かれたことと思います。

今回はそんな「地方自治」を考える上で、多くのヒントをくれる一冊をご紹介しようと思います。 「ゼロからの資本論」(斎藤幸平・著)です。

斎藤幸平さんは、「人新世の資本論」という本が一躍ベストセラーとなり、若き日本のマルクス研究者として著名になりました。前著では、「脱成長コミュニズム」という言葉を使って、行き過ぎた資本主義を是正しなければいけない。経済的な成長をひたすらに追い求めるのではなく、「脱成長」と「コミュニズム」という考え方を取り入れていかなければ、やがて世界を破綻してしまうだろうと述べました。この過激な言葉も相まって、「人新生の資本論」はベストセラーになり、かつてのマルクス主義とは違った新しい見方が広まりました。この点に関して斎藤さんの功績は大きいと考えます。

もともとマルクス主義と言うと、「革命につながる思想」みたいなイメージがあって、とっつきにくい印象がありました。本屋へ行っても、マルクス・エンゲルスの書棚だけ妙にいかつくて、近寄りがたい雰囲気でした。内田樹さんら、好きな作家が「マルクスは読んだほうがいいよ」と語っていても、なかなか「入門書」にまで手が伸びなかったのです。 ところが「人新世の資本論」のヒットによって、原著は読めなくても、そのエッセンスをまとめた本は手に取りやすくなりました。

斎藤さんはマルクスの資本論に隠された別のメッセージを彼の残した膨大なメモから解読し、晩年のマルクスが辿りつこうとしていた「資本主義を超えたコミュニズム」という思想に気づきました。晩年のマルクス思想を研究することによって、今の社会を打破する方法を閉塞的な社会を打ち破る方法を模索しているのです。

「商品」と「価値」

マルクス主義を考える上で最も根底にある概念、それは「商品とは何か」と言うことです。これを考えるにあたって、まず知っておかなければならないのは、「使用価値」と「価値(交換価値)」は別の意味があるということです。

一つは、「使用価値」という顔です。「使用価値」とは、人間にとって役立つこと、つまり人間の様々な欲求を満たす力です。 水には喉の渇きを潤す力があり、食料品には空腹を満たす力があります。マスクにも、感染症の拡大を防止するという「使用価値」があります。生活のために必要な「使用価値」こそ、資本主義以前の社会での生産手段の目的でした。
(p.38 『第1章 商品に振り回される私たち』)

一方で、資本主義において、商品の価値は生活上必ずしも必要なものだけにつくとは限りません。「儲かるモノ」と「必要なモノ」は必ずしも一致しないのです。重要なのは、商品のもうひとつの顔、「価値」です。

「使用価値」の効能は、実際にそのものを使うことで実感できますが、「価値」は人間の五感では捉えることができません。マルクスも「まぼろしのような」性質だと言っています。日常生活では商品に「値札」をつけて、かろうじてその輪郭をつかむことができますが、目に見えない不思議な力が、身近な商品にはあるのです。そして、この価値という不思議な力が、市場の拡大とともに、社会に大きな力を与えるようになっています。
(p.40 『第1章 商品に振り回される私たち』)

さらにマルクスは、この「使用価値」を離れて、資本主義的な意味での生産量が増えていくこと、つまり際限なく増殖していく「価値」を、「剰余価値」という言葉で表現しました。マルクスの生きていた当時の西欧諸国では、今よりもを労働者が劣悪な条件で働かされていて、1日16時間労働で、寝食以外の時間は全て工場労働に費やされるようなそのような環境であったといいます。このような環境下で労働者たちは価値を増大していくために2つのことを迫られます。

ひとつは、なるべく長時間働いて生産量を上げるということ。
(絶対的剰余価値)
もうひとつは、何らかの形で生産効率を上げるということ。
(相対的剰余価値)

この2つによってしか生産量アップは見込めない。これが資本論における資本家が目指すとされている考え方です。これを繰り返すことによって、生産量は労働者の労働力以上に増大していく。ここで生まれるものが「剰余価値」といったものです。

以上が、『資本論』の冒頭で語られるベースとなる主張ですが、本書のポイントはこの先にまで議論を進めていることにあります。『資本論』の基本的な考え方に沿って資本主義を進めていけば、そこには必ず問題が起きる。例えば環境問題。資本主義は身の回りのあらゆるものを商品に変えていくので、剰余価値を増やしにくいもの、例えば廃棄物などを経済圏外へと捨てて見えないようにし「外部化」していく。

ポイントは「脱商品化」と「コモンの再生」

この点について、本書ではもう一つのキーワードである「物質代謝」と言う言葉を使って説明をしています。「物質代謝」とは、人間を含めた生物は生命の循環の中で生きている。自然環境や生物へと働きかけることによって、生きる術を得ているということです。つまり、私たちが資源の外部化を行うことなく、経済システムを機能させるのであれば、人間たちの周辺にある自然や生物との共存を考えていく「物質代謝」という考え方を根底としてなければ、社会システムを永続することはできないという考え方がある。現代の社会システムを考えると、産業革命以降は、「人間と自然の物質代謝」という、生物が共存するためのルールを無視して、資本主義を走らせてきた。そんな印象を持ちます。

人間は、絶えず自然とやりとりしながら生を営んでおり、その”働きかけ”が、すなわち人間の労働でした。ところが、資本主義のもとで労働が価値増殖のために行使されるようになった結果、人間の労働力は粗雑な扱いを受けるようになったのです。
(p.130 『緑の資本主義というおとぎ話』)

では私たちが資本主義の次を想い描くための未来とは一体どんなものなのでしょうか。著者の主張では、ポイントは「脱商品化」にあるといいます。身の回りのものを何でも商品に変えていく資本主義と言う考え方に対抗すべきポイントはなんでもかんでも商品にすることを、避けるべきだというのです。

著者は、ドイツの医療体制や教育体制を事例として挙げています。ドイツでは、何十年にもわたって学生を続ける人がいる。なぜなら、学生であれば交通費も安く済み、また教育は無償化されているので、学生を続けることに基本的にお金をかからないように教育制度が整っているということです。また医療を受けるのもほとんど無償化されている。これによって必要な生活インフラの「脱商品化」を実現しているのです。ドイツは資本主義国ですが、「脱商品化」をすすめることで、物象化の力にブレーキをかけているのです。

私が留学していたドイツでは、事情が大きく異なります。なんと、大学を4年で卒業する人のほうが少なく、6年かかるのはいたって普通。博士課程まで入れると20年ぐらい学生をやっている人がいることに、留学当初は衝撃を受けました。 (中略) これこそが、福祉国家の研究者であるイエスタ・エスビン=アンデルセンが「脱商品化」と呼んだ事態です。つまり生活に必要な財(住居、公園)やサービス(教育、医療、公共交通機関)が無償でアクセスできるようになればなるほど、脱商品化は進んでいきます。
(p.169 『第5章 グッバイ・レーニン!』)

このような考え方で世界を見渡してみると、例えば今の中国は、単に国家が資本主義を推し進めているだけの存在であるということに気づきます。著者は、中国のことを「国家資本主義」と呼んでいます。中国は、文化大革命によって社会主義国家ではなくなったが、資本主義国家アメリカと同様の資本主義になったわけではなく、国家または官僚が国民から剰余価値を搾取するという国家資本主義になっただけだと述べています。この説明には、なるほどと納得しました。資本主義が行き過ぎてしまっているかは、この剰余価値の搾取があるかどうかという点を見ることが重要なのです。

感想など

本書を読んでいて、「あれ?日本って剰余価値の搾取がどんどん進んでいるかも」と思えたのが一番の発見でした。 「郵政民営化」にはじまり、「電力自由化」「通信事業者の自由化」など、ここ20年ぐらいで公共インフラだったものが「商品化」した事例はたくさんあります。

私は大学卒業時に大学院への進学も少しだけ検討しましたが、文系だったこともあり、企業との縁もあって就職してしまいました。ドイツの事例などを読んでいると、もう少し学生を続けたかったな、日本が将来学生に寛容な社会に変わってくれればなと思う面もあります。

一方、卒業してすぐに就職したことで、「周囲のモノを商品に変える」能力は身につきました。 社会人2年目ぐらいのことでしょうか。上司と営業車で街を走り、会話なくぼんやり街並みを眺めていると、「どこに自社の製品が使われているか、どこに使ってもらえそうか、考えながら走るんやで」と言われたことを思い出します。

「商品化せず、コモンズを増やしていく」という考え方のほうが、いまは馴染む場面もあります。

個人的には、「脱成長」という言葉は好きではありません。 今の日本は衰退フェーズにあるのかもしれませんが、「脱成長」を標榜してしまうと、もう成長がない終わった国と認めるようでなんだか寂しいです。

「コモンの再生」あたりが最も馴染みやすい表現かもしれません。

斎藤幸平さんのメッセージは提言すべてに賛同できなくても、心に響くものがあります。 「資本論」のエッセンスを新書で気軽に学びたい方に、ぜひおすすめします。

以上、長文お読みいただきありがとうございました。

<参考文献>
斎藤幸平『ゼロからの資本論』(NHK出版, 2023)
白井聡『武器としての資本論』(東洋経済新報社, 2020)

【おすすめ本&講義動画】FP2級合格するためにやったこと

2023年1月実施のファイナンシャルプランナー2級試験(FP協会)を受けてきました。

自己採点にて学科、実技とも合格ラインに達していることを確認しました。 2022年9月下旬に3級を受験し、4ヶ月弱という勉強時間でしたが、なんとか最短でFP2級を取得できそうです。

本記事では、参考にした書籍・講義動画、勉強して良かったこと等についてご紹介します。

おすすめ参考書

まずはテキストと問題集です。

問題集は、以下の書籍を使用しました。

問題集のイチオシポイント

  • 右に問題、左に解説と、見開き1ページで完結していて使いやすい。
  • 学科試験の対策がしやすい
    • 1章;42問、2章;35問、3章;39問、4章;35問、5章;31問、6章;41問
    • 合計223問×4択をマスターすれば、学科試験で問われる問題の大部分をカバーできる
  • 持ち歩きにも負担の少ない重量
  • 実技試験問題も充実しており、解き方の解説が詳しい

問題集の使い方

  • 4択すべての正誤に目を通す。回答できたものは☑、回答できなかったものは□をつけることにした。※○✗をつけると紛らわしいため
  • 1周目はほとんどの問題を間違える上、用語の意味が分からないため、テキストで調べながら説いていく。
  • 2周目も同様に□☑をつけていく。難しい論点は、講義動画を見たりテキストを参照したりして、ポイントをメモっておく。
  • 3周目に間違えたor分からなかった選択肢は、間違いノートとして別ノートに転記する。

1周目は1ヶ月半ぐらいかけて、調べながら問題を解きます。 けれどあまり時間を使いすぎると先に進めないので、まずは問題全体に目を通すことを重視しました。 わからない問題はチェックをつけておいて、サクサクと先に進んでいきます。

2周目は初見と比べるとかなりラクになりますが、それでも大部分の問題を間違えます。 挫折ポイントがあるとすれば、ここで難しい論点に出会った際にお手上げになってしまうことです。
ex.) 年金制度の細かい論点、居住用財産の譲渡特例、借地借家法など

ここに関しては、後述する講義動画などを参考にしながら乗り切りました。

3周目にかかる時期は、試験の2週間前でした。 まだ理解できていない単語が多数あったので、別ノートに転記して試験前に見直せるようにしました。 間違いノートについては、簿記2級を取得した際、試験直前に効果があったので、同じ方法を使いました。

machiyukimurayuki.com

私は試験3ヶ月前から直前まで、ずっとこの問題集を解くことに時間を使いました。 そういう意味では、勉強に際して最も活用した参考書でした。 要点などもテキストではなく問題集に記載していき、コレ一冊持ち歩けば良いように知識を一元化するようにしました。

▲問題集には要点を書込み、一元化する

テキストの選び方

次にテキストですが、以下の条件に適しているものをセレクトしました。

  • 最新版であること ※法改正で毎年数値が変わるため
  • 大手出版社から出版されていること
  • 辞書的に使いやすく、網羅性の高いもの

私は問題集と同じ出版社のテキストを使用しました。見開きの見やすさなどを重視して好みで選びました。 問題集とは違う出版社のテキストを選ぶと、辞書を引くようにテキストを参照するので、勉強になるかもしれません。

実技試験対策には過去問を活用する

実技試験は毎回出題されるパターンがあるため、過去問の活用しました。 問題集にはFP協会向けの実技試験対策問題の掲載が少なかったため、過去問を過去5回分ほど解きました。 計算問題が多いので、時間内で解けるようにパターンをつかんでおきます。

過去問はFP協会の公式WEBページにアップされているものを活用しました。 解説はどこのサイトも充実しているのですが、2級FP過去問解説を参考にしていました。

おすすめ講義動画

最もよく視聴した講義動画は、FP界隈では定番のほんださんのチャンネルです。

ほんださん / 東大式FPチャンネル 


www.youtube.com

3級レベルであれば、各分野の爆速講義を視聴し過去問を過去2回分ほど解くと合格ラインに乗れると思います。 必要な知識がギュッとコンパクトにまとめられていてFP入門にはぴったりです。

2級となるとさすがに難しい論点が増えたので、ポイント解説の動画を見直しました。 特に「テーマ別解説」の講義動画が素晴らしく、社会保障分野の細かい論点など、ほんださんの動画がなければ挫折して諦めていたことでしょう。 これだけ質の高い動画をYou Tubeでアップしていただけることに感謝です。


www.youtube.com

youtube.com

※1級受験生向けのテーマ集ですが、範囲外の部分は除外すれば使えます。

FPの試験対策という観点であれば、ほんださんのチャンネル一択で済んでしまいます。 問題は関心の薄い分野に出会った時、どのように興味の幅を広げるかという点です。 社会保障の分野、相続の分野などは、日常での経験がないと身近に感じることができません。 イメージが沸かないとテキストや問題を見ても、理解しようという意欲が湧いてこないでのです。

この問題を解決するために、私はFP対策以外の、特に税理士の方のチャンネルを参考にしました。

オタク会計士ch【山田真哉】少しだけお金で得する

「さおだけ屋はなぜ潰れないのか」で有名な山田先生のチャンネル。 インボイス制度、e-taxを使った確定申告、新NISAなど、速報性高くわかりやすく解説いただいています。 このチャンネルを通じて、身近な税金の話題に興味を持つようになり、金融資産運用、タックス分野の対策にもなりました。

【円満相続ちゃんねる】税理士橘慶太

相続対策の書籍も書かれている橘先生の相続贈与に特化したチャンネル。 この分野は実生活で直面することがないとイメージしにくいですが、You Tubeの図解がとてもわかりやすいです。 相続贈与に関しては、自身の家族構成にも当てはめながら、法制度など理解を進めていく必要があるなと感じました。

聞いてわかる投資本要約チャンネル

タザキさんの金融本解説チャンネル。 税理士ではなくサラリーマンYouTuberとのことですが、聴くだけで勉強になります。 基本的には投資に関する本の解説ですが、金利に関する本の解説などを通じてマーケットに対する理解が深まりました。

おすすめ本

最も興味を持てなかった分野が「保険分野」でした。 この分野に少しでも興味を持つため、手にとったのが以下の書籍でした。

いらない保険 生命保険会社が知られたくない「本当の話」 (講談社+α新書) (後田亨, 永田宏)

年金、タックス、相続贈与に関しては、漫画が掲載されてい実用書を活用しました。 日常生活でのイメージが沸かない場合に漫画は理解を手助けしてくれます。 ナツメ舎から出版されている『いちばん親切な〜』シリーズがよかったです。 申請書類のフォーマットなども掲載されており、実務でも使えると思います。

FP2級を勉強してよかったこと

昨年6月に簿記2級を取得し、財務会計に関しては理解が深まりました。 一方で、社会保障、税金、ファイナンス分野に関しては専門用語が分からず戸惑うケースも多くありました。 私は中小企業の経営に携わっているため税理士の先生とお話する機会もあるのですが、自身に税金の知識がなければ、質問できる内容が限られてしまいます。 この点、最低限の専門知識を持ってお話ができるよう、基礎教養を身につけておく必要性を感じていました。

約半年間勉強してみて、FP試験は教養として勉強するだけでも満足度の高い資格だと感じました。 学習してよかったことは下記の通りです。

  1. 社会保障、相続贈与といった疎遠だった分野について学ぶことができた
  2. 不動産分野は苦手であると知ることができた
  3. 経済ニュースを多角的な視点で読めるようになった

疎遠だった社会保障、相続贈与分野について学べた

社会保障、特に年金分野については、国民皆保険であるにも関わらず、学校教育で社会人経験を通じて体系的に学べる機会がほとんどありません。老齢年金などについては、受給が差し迫ってはじめて興味が生まれる分野であり、20代、30代で年金について興味を持つという方が難しいのではと考えます。

FPを勉強するメリットのひとつは、間違いなくこの社会保障分野を学ぶことにあると考えます。 なぜなら、日本という国の社会保障を知ることで、自分や家族に必要な民間保険などについても知ることができるからです。 日常のリスク管理という点で、何に対して保険をかけるかを考えておく必要があります。 最初にすることは保険会社のプランを見るのではなく、まずはどんな社会保障があるのかを知ることが先なのです。

老齢年金だけではなく、障害年金、遺族年金などの年金制度についても知っておくこと。 また医療保険、雇用保険の制度について知ることで、大部分の終身保険や個人年金が不要であることに気づくことができました。

また相続贈与について、民法などで決められていることを学習できたことも大きかったです。 家族の相続贈与を考えるということは、親族ひとりひとりと向き合うということにもつながります。 長い人生の中で将来直面する課題について、その対処法を学ぶという点では勉強になりました。

不動産分野は苦手であると知る

私の場合、不動産分野が苦手であるということがよくわかりました。 実際、学科の自己採点では4/10点程度の正答率で、最後まで苦戦しました。 一方で金融資産運用の分野は最初から戸惑うことが少なく、本試験でもあまり苦労せず問題が解けました。

何らかの投資を行う際に、不動産投資(賃貸業、マンション経営、DIYリフォーム業など)が、自分には向かないんだなということがよくわかりました。 不動産に関しては、借地借家法や建築基準法と行った法制度について学ぶ必要もあるため、このあたりがスムーズに学べるかで理解度が変わるように感じました。

経済ニュースを多角的な視点で読めるようになった

税制改正は国の施策の大きな節目になります。 先日も2024年から始まる新NISAの大枠が明らかになったことで盛り上がりました。 こういった日々の経済ニュースがあったときに、単に自分にとってのメリット/デメリットを考えるだけでなく、どういった目的があって制度導入しているのか、どういった層に対してアプローチしたいのかなど、多角的な視点でニュースを見れるようになりました。 特に日経新聞など金融や資産運用などをテーマにしたメディアを読む際には、FPで学ぶ知識は役に立つと感じました。


約半年間の勉強を通じて、活用した参考書や講義動画、受験した雑感などをまとめてみました。

ファイナンシャル・プランナーは、2級までであれば合格に向けた優秀なコンテンツが出揃っており、独学で十分に学習可能です。 個人的には簿記2級と比較して難易度が多少容易なレベルかなと感じました。 (暗記が得意であればFP、計算が得意であれば簿記の方が向いているなど特性による差はありそうですが)

これから受験を考えている方の何かの参考になればうれしいです。

以上、長文お読みいただきありがとうございました。

2023/01/29

【書評・感想】『密やかな結晶』を読んで、記憶と物語について考える

小川洋子さんの『密やかな結晶』という小説を読み終えた。

20年以上前の作品なのですが、近年になって海外でも広く読まれるようになり、2020年にブッカー国際賞の最終候補作にもなったようだ。 昨年になって新装版となって文庫で出版された。

新装版 『密やかな結晶』

英語版 ”The Memory Police”

The Memory Police

The Memory Police

Amazon

英訳版は、「記憶狩り」を行う”秘密警察”がタイトルになっている。 事実とそれに基づく記憶が軽んじられる「ポスト・トゥルース」時代の文学としても読まれているという。

記憶を不条理に奪われていく世界において、人は生きていくことが可能なのか。 自らの記憶体験と重ねながら、読んでみることにした。

登場人物とあらすじ

主人公である”わたし”は、ある島の中で小説を書いて暮らしている。 この島は”秘密警察”が取り仕切っていて、ある日突然、概念の消滅が起きる。消滅が起きてしまったら、人々はそのものの記憶を捨て去るしかない。

“わたし”は母親と暮らしていたが、母親は消滅が起きても記憶を消失しない人だったので、秘密警察に連行され、幼い頃に離れ離れとなった。

いまの“わたし”には大切な人が二人いる。 ひとりは、毎日散歩をしている時に言葉を交わすおじいさん。彼もまた記憶狩りが起こると、記憶が消滅する。 もうひとりは、私の書く小説の編集者であるR氏。彼は記憶狩りがあっても消滅に遭わず、記憶を保持し続けることができる。

しかし、R氏は母親と同じように、いつか連れ去られる運命にあるため、わたしはおじいさんと協力して彼を自宅の一室にかくまう計画を立てる。

島では次第に”秘密警察”の取締りが厳しくなり、あらゆる概念の消滅が続いていき、島の人たちにとって大切なものが次々と姿を消していく。 果たして三人は、消滅を繰り返す島で、どのような結末を迎えるのだろうか。

記憶は時間をうまく測れない

物語の行方からは一旦離れて、この先は記憶について考えてみる。

人間は、起きた出来事のすべてを記憶できるわけではない。 私たちの生きる世界では、小説の設定のように「消滅」は起きなくとも、必要でない記憶はやんわりと姿を消していく。

例えば、5年前に家族や友人と行った旅行のことを思い返してみる。 その時に撮った写真や、旅行中に買ったお土産などは手元にないものとする。 2泊3日の行程があったとして、そのうちどれだけの場面を覚えているだろうか。

24時間×3日分もの時間があったはずなのに、思い出される場面はほんの一部だ。 全体として、楽しかった、たくさん笑った、切なかった、などと総括をすることができたとしても、切り取られて想起される場面は限られたものだ。

行動経済学者ダニエル・カーネマンは、「経験と記憶の謎」と題したTEDスピーチで、この話題に触れている。 私たちには、「経験する自己」と「記憶する自己」のふたつの自己があって、それらは別々の観念であるというのだ。

digitalcast.jp

病院へ行って、「いま痛みますか?」という質問に答えるのが、「経験する自己」。
一方で「この一週間どうでしたか?」という質問に答えるのが、「記憶する自己」。

人間は往々にして「経験する自己」よりも「記憶する自己」を重視するのだという。 ある意味では、記憶の積み重ねがその人自身をつくっているともいえる。

けれども、記憶とは決して正確に測られたものではなく、曖昧なものだ。 コンピューターのメモリ媒体のように、時間と出来事を正確に結びつけて記憶しておくことなどできない。 また記憶された場面を、同じ割合で圧縮させて保存しておくことなどできない。

10年前の出来事で忘れてしまうこともあれば、20年前の出来事なのに覚えていることだってある。 2002年の日韓ワールドカップのとき、私は中学生だった。 昼休みに教室でサッカー好きな友人と興奮して話していた場面を、今でも思い出すことができる。 その時のFIFAガイドブックと弁当と、教室の風景とともに。

そのようにして、過去に経験したいくつかの場面だけが、切り取られた写真のように記憶に刻まれていく。 このことを、著者は「記憶の結晶」という形で表現したのではないか。

記憶の結晶を紡ぎ、物語をつくること

小川さんは、「密やかな結晶」を執筆中、アンネ・フランク「アンネの日記」を並行して読んでいたという。 アンネは、自らの中に宿る記憶を書き起こし、物語として残すことで、何もかも奪っていく「ナチス・ドイツ」への抵抗を試みた。

本書の主人公”わたし”も、記憶を奪われ、概念が次第に消失する島で、R氏の励ましの中で懸命に執筆を試みる。 書いた翌日には内容を忘れているため、執筆はうまくは進まない。それでも、言葉を紡ぎ、書き残し、物語をつくっていく。 アンネと同じやり方で、何もかもを奪っていく”秘密警察”に対抗しようとする。

「ポスト・トゥルースの時代」と言われる。 美しく壮大なストーリーだけが叫ばれひとり歩きしていることが、時に悲しくなったりする。 ネットメディアで拡散されることによって、いかにもそれが「ただひとつの正解」であるかのように報じられる。

けれども、一人ひとりが抱えている物語は、きっとそれほど美しく壮大なものではないと、私は思う。 本書の小説家である”わたし”のように、アンネ・フランクのように、個人の結晶化した記憶を紡いでいくこと。 それが「誇張されたストーリー」に巻き込まれないための術になるのではないか。

『密やかな結晶』は、日本人の繊細な感性が読める素晴らしい小説と感じた。

2023/1/9

<参考文献>
小川洋子『密やかな結晶』(講談社, 1994)
ダニエル・カーネマン『ファスト・アンド・スロー』(早川書房, 2012)



「ウォーホル・キョウト」と「ぼくの哲学」

「アンディ・ウォーホル・キョウト / ANDY WARHOL KYOTO」へ行ってきました。 京都市京セラ美術館で開催中の展覧会で、本来はコロナ前に予定されていたものが延期になって今年の開催になったようです。

ANDY WARHOL KYOTO

アンディ・ウォーホル・キョウト / ANDY WARHOL KYOTO

アンディ・ウォーホルは、20世紀後半を代表するアーティストです。 名前を知らなくても、キャンベル・スープ缶やマリリン・モンローといった作品は、誰もが一度は目にしたことがあるでしょう。 20世紀後半はアメリカ文化が世界を風靡した時代でしたが、その波に乗るようにして、彼は人気アーティストとなります。 美術・音楽・映画などジャンルを横断したマルチなアーティストでもあり、メディアとの相性もよく、彼の関わったプロダクト・デザインは大衆文化の中にも一気に溶け込んでいきました。

そんなウォーホルですが、生前にはエッセイ集を出版しています。 赤いポップな表紙が印象的な、「ぼくの哲学」という本です。 (英版タイトルは”THE Philosophy of Andy Warhol”)

日記のような軽いタッチで書かれていて、ウォーホルの日常や頭の中を覗けるような内容になっています。 展示作品を振り返りながら、本書からいくつかウォーホルの言葉を紹介します。

イラストレータ時代・京都滞在

1950年代から1960年代にかけて、商業イラストレーターとしてキャリアをスタートさせます。ニューヨークへ渡ったウォーホルは、雑誌・広告業界でたちまち人気のクリエーターとなります。 この頃の作品は、とにかくポップでカワイイ。デザインセンスに溢れていて、すぐに人気が出たのもうなずけます。

▲『ピエールおじさんに似ている猫』ほか

▲『蝶々のケーキ』

▲『I Love You So』

1956年には「ご褒美」として世界旅行にでかけます。 世界各国を回る中で日本にも訪れ、東京・京都の文化に接します。 カメラを持たず、スケッチブックを持って旅をしたようです。

▲『京都(舞妓)1956年7月3日』

絵やイラストについては、考えて描いてはダメというようなことを言っていますね。

「絵についてはいろいろ考えたらダメになると思う。……絵に対するぼくの本能は、『考えなかったら大丈夫』というもの。消えたり選んだりしなくちゃいけなくなった瞬間、それはもうダメ。決断することが多いほど、ダメになっていく。抽象画を描く連中には、座って絵について考えてるのがいるけど、考えることで何かをしている気になってるんだな。僕の場合、考えても何もしてないのと同じなんだ」

ポップアーティスト・ウォーホル誕生

ウォーホル芸術の代名詞と呼べるのは「キャンベル・スープ缶」でしょう。

1962年、イラストレーターの職を捨てて美術界で展覧会を開くようになります。 32点のキャンベル・スープ缶を並べたものが、実質的なアーティスト・デビュー作でした。ここから、「ファクトリー」と名付けられたスタジオにて、作品制作がはじまります。

▲『キャンベルスープ缶』

一体なぜこれほど無機質な作品が評価されたのでしょうか。

ポイントは、基本理念である「機械になりたい」という言葉に表れています。 シルクスクリーンという手法を使って、自分で絵を描かずに、何度でも複製できる。 大量生産・大量消費の象徴的な製品を取り上げることで、没個性的な作品を作り上げることができる。そこには、「主題やオリジナリティがあってはじめて芸術である」という既存の美術概念への否定がありました。

「すべてのコークはおいしい」を体現したアートだったのです。

「この国の素晴らしいところは、大金持ちでも極貧民でも同じものを消費するってこと。テレビを見ればコカ・コーラが映るけど、大統領もコークを飲めば、リズ・テイラーもコークを飲む、で、考えたらきみもコークを飲めるんだ。コークはコークだし、どんなにお金を出したって街角の浮浪者が飲んでるのよりおいしいコークなんて買えない。コークはすべて同じだし、すべてのコークはおいしい」

著名人

俳優・女優・ミュージシャンら著名人の肖像画をモチーフにした作品も多く制作されました。最も有名なものは、マリリン・モンローの作品群でしょう。 実はこのマリリン、ただ一点の写真から取られているのです。元ネタは一つしか存在しないのです。

▲『三つのマリリン』

マリリンの他にも、著名人の肖像画をモチーフにした作品は多数制作されています。 当時は「ウォーホルに描かれると有名人になれる」ということで、モデルを名乗り出る人が後をたたなかったようです。

▲著名人たちの肖像画

シルヴェスター・スタローン、アレサ・フランクリン、坂本龍一。 誰もが知る著名人たちですが、どこか物悲しげな表情をしていませんか。 シルクスクリーンによって色彩を持った顔は、写真とは違った独自の表情を持ち始めます。彼が描きたかったのは、華やかな世界と孤独で物悲しげな世界の二面性でした。

「美しい時期」とは、人に二面性が宿る時期のことを言うのでしょうか。

> ぼくは美しくない人に会ったことがない。 だれでも一生のうちに美しい時期がある。美しい時期がみんなそれぞれ違う段階であるんだ。

ポップで華やかな作品のイメージの強いウォーホルですが、「死」をテーマにした作品をも多く制作しています。 特に著名人の肖像画とは対象的な、「無名な人の死」にこだわりました。 <自動車事故>や<ツナ缶の惨事>といった事件の写真イメージは反復され、大量消費社会が生んだ影の部分が反復されることを示します。 描かれるイメージは強烈であるほど、作家としての役割は小さくなり、どこまでも小さく扱われるはずだった事件が誇張されていきます。

アメリカ文化は豊かな社会を生んだだけではなく、一方で無作為な死を生みました。 著名人も無名な人も、等しく突然降りかかる死と向き合わなければならない。 そんな社会的な問題にもスポットライトを浴びせようとしたのです。

▲『ツナ缶の惨事』

1968年に撃たれたときから、ウォーホル自身も死と向き合い生きることになります。

ぼくは死ぬということを信じていない、起こったときにはいないからわからないからだ。死ぬ準備なんかしていないから何とも言えない。

【番外編】充実のミュージアムショップ

プロダクトと相性抜群のウォーホルデザインということもあり、グッズにはかなり期待していました。中でもカラフルな「タブレット缶」はどのデザインもポップに切り取られておすすめでした。

ミュージアムショップ

京の老舗コーナーなんかもあって、銘菓好きにはたまらないコラボが実現していました。 「村上開新堂のクッキー」が手土産に良さそうでしたが、人気のため品切れでした。

ミュージアムショップ2

ウォーホル展の感想

展示されている作品数はそれほど多くはなかったものの、ウォーホルの歴史を一通り追うことのできる良質な展示でした。 全作品スマホ撮影OKで、アプリによる解説もフリーと、コンテンツは充実していました。

私自身、ウォーホルは”熱烈なファン”とまではいかないものの、常に気になる存在ではありました。 20世紀後半の、天才アーティストの生涯ということで、作品を通じてアメリカ社会の光と影を覗き見したような気分になれます。

大量生産・大量消費のアメリカ社会は、そのすべてを肯定したいとは思いません。 けれども、ウォーホルのような作家がいたことで、時代の一場面が切り取られ、反復されることの意義を感じさせてくれます。

アンディ・ウォーホル・キョウト展は2023年2月まで開催中ということです。 京都の主要スポットでもコラボ展示があるようで、ぜひ京都に立ち寄られる機会があれば訪れてみてはいかがでしょうか。

<参考文献>
アンディ・ウォーホル著『ぼくの哲学』(新潮社、1998)
宮下規久朗『ウォーホルの芸術 20世紀を映した鏡』(光文社, 2010)

【ベスト5】2022年今年読んでよかった本

2022年は、「読書の幅が広がった年」だった。

昨年のベスト5記事を振り返ってみると、その年に出版されたタイムリーな書籍をよく読んでいたことがわかる。 話題の本はつい手にとってしまいがちだが、反面「消費的な読書」になっていることが気がかりだった。

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そこで、4月頃からオンラインの読書コミュニティーを活用して、なるべく「長く読まれている本」に触れるようにしてみた。 読書会参加を重視していたので、後半はブログ更新が止まってしまったが、読んだ本について話すことで「消費的な読書」からは幾分か開放されたように思う。

今年読んだ本の中から、特に印象に残った5冊について紹介する。

料理と利他

料理家である土井善晴さんと政治哲学者である中島岳志さんとの対談集。 「家庭料理」を通じて見えてくる世界を、二人の専門家が精通されている思想をもとに丁寧に解き明かしていく。 対談集なのでさらっと読めるような内容かと思いきや、哲学的な話題にまで踏み込んでいて奥が深い。

土井先生が「家庭料理」に興味を持ったのは、京都の河井寛次郎記念館へ行って、民芸の美しさに惹かれたからだという。 無名の芸術である「民芸」と、家事労働としての「家庭料理」は似た性質を持っているのではないか。 この発見から、ご自身が提案されている「一汁一菜でよいという提案」につながっていくのだ。

もうひとつのキーワードは、「利他」である。 地球環境のような大きな問題に対しても、料理を通じて利他的に考えることができるようになるという。 例えば食材を調達する場合。地のものか海外からの輸入品か、包装材は何を使っているか、どこまでを廃棄するかなど、意外と勘案すべきことはある。 食材選びなんて日々の何気ない行動ではあるけれど、その些細な選択が私たちの住む地球環境と密接に関わっている。

本書を読んでから、料理に対する心構えが変わった。 具体的には、できるだけ地の食材を活用して、廃棄物を少なくして、素材の味を引き出すようなシンプルな料理を試みるようになった。 「家庭料理」に対する価値観を変えれば、地球環境にも家族の健康にもいい生活が送れるはずだ。

自身のライフスタイルについて、考え直すきっかけを与えてくれたような良書だった。

人間のしがらみ

今年最も印象に残った小説は、サマセット・モームの『人間のしがらみ』だった。 シェイクスピアの翻訳で著名な河合祥一郎さんの翻訳で読めるということで、大長編にチャレンジしてみることにした。 ちょうど7月頃から9月頃にかけて、暑い夏にゆっくりと時間をかけて読み進めた。

モームは『月と六ペンス』が大好きな小説なので、こちらも期待していた。 主人公フィリップの半生と自分の半生を重ねながら読んだ。 生まれてからずっと苦労続きであったフィリップには、重ねたくなる部分が多々あった。 悪女ミルドレッドの存在も、詩人クロンショーの存在も、自分の半生を振り返れば「似た人」を発見する。

この小説を30代の半ばで読むことができてよかったと思う。 20代では早すぎたし、40代では遅すぎた。 古典的な名著であっても、きっと「読むべき時期に読む」ことで響き方は変わってくるのだろう。

また来年も、長編小説の古典にひとつチャレンジしたいと思うようになった。 大長編は、年にたくさん読む必要はなく、印象に残るものが1冊あれば十分なのかもしれない。

現代経済学の直観的方法

経済学部を卒業しているものの、実社会で使わない学問の知識は錆びついて忘れてしまう。 10年経って学んだことを思い出したいということもあり、1冊で大学で学ぶ知識を「直感的に」得られるという謳い文句につられて本書を手にとった。

第1章から、とにかくわかりやすくておもしろい。 経済学の主要トピックを、教科書的な説明の方法ではなく、あくまで主観全開でざっくり説明する。 専門家の方々からすれば、的を外していることも、削ぎ落とし過ぎと感じられる部分もあるのだろう。 けれども、「直感的に捉える」ことを目標とするならば、これ以上の経済学の本には出会ったことがない。

  • 資本主義とは
  • インフレとデフレのメカニズム
  • 貿易が拡大する理由とは?
  • ケインズ経済学とは何か?
  • 貨幣の本質とは?
  • なぜドルは強いのか?
  • 仮想通貨(暗号資産)とブロックチェーンとは何か?

毎日の経済ニュースを理解するにも、これだけのテーマを抑えておけば見え方が違ってくる。

第10章の「縮退」に関する理論に関しては、さらに賛否両論があるだろう。 物理学の理論をそのまま経済にも当てはめることができるのか。 懐疑的な見方になる部分もあるが、頭のキレる人からひとつの思考法を学んだような気持ちになれる稀有な入門書と感じた。

経営リーダーのための社会システム論

2022年は戦争に襲撃事件にと社会が揺れた一年だった。 先月も本書の著者である宮台真司さんが一般人から襲撃を受けたとのニュースがあった。 幸い命はご無事だったようだが、実名で社会的なメッセージを公表することがリスクを抱える時代になりつつある。 政治家や専門家が自由に発言できなくなる社会に、未来などあるだろうか。 あらためて「社会の構造」に目を向けたくなった。

本書は、野田智義さんと宮台真司さんが創設されたビジネススクール「至善館」の講義録である。 二人の長年の研究により蓄積された「日本社会の構造論」について学ぶことができる。

テーマは「社会の底が抜けているのはなぜか」である。 社会学を学ぶということは、同時に資本主義と向き合うということでもある。 「安全、快適、便利」なのに、なぜ生きづらいのか? 現代社会の抱える根本的な問題について考察を進めていく。

最終章では、「底が抜けてしまった社会」でどう生きていくべきか、経営リーダー層に向けたメッセージが語られる。 私たちにもできることはきっとある。着実に一歩ずつやれることをやっていくべきだ。 リーダーたちを先導し、社会的を変えていこうとする人が襲われる社会など、許容していてはいけない。

奇跡の社会科学

前述の本で社会学に興味を持った。 新書で社会科学の系譜をざっくり学べそうな本がタイムリーに出版されたので、手にとった。 中野剛志さんは、『奇跡の経済教室』シリーズもわかりやすく愛読していたので、この人が社会学を説明してくれるのなら間違いないだろうと思ったのだ。

取り上げられている人物は、どれも興味深い人ばかり。

  • マックス・ウェーバー「官僚制的支配の本質、諸前提および展開」
  • エドマンド・バーク『フランス革命の省察』
  • アレクシス・ド・トクヴィル『アメリカの民主政治』
  • カール・ポランニー『大転換』
  • エミール・デュルケーム『自殺論』
  • E・H・カー『危機の二十年』
  • ニコロ・マキアヴェッリ『ディスコルシ』
  • J・M・ケインズ『雇用・利子および貨幣の一般理論』

本書から派生して、エドマンド・バークやトクヴィルの書籍に興味を持った。 原典は私の知識ではまだ読み解くことは難しいものの、政治思想のご専門である宇野重規氏の入門書なども読んでみて、民主主義や資本主義について再考するきかっけを与えてもらった。


ベスト5を振り返ると、「未知の分野を学ぶ楽しさ」に目覚めた1年だったのかもしれない。 タイムリーに出版された書籍であっても、ベースとなる知識があれば著者の主張がより深く理解できるようになる。 ただし古典を読み解くには相応の知識量が必要で、限られた時間の中ですべての学問に目を通すことなどできない。

来年は深堀りしたい学問を絞ることで、もう少し専門性を深めていきたいと考える。 料理家の土井先生が「家庭料理を通じて利他を考える」というような芸当ができるのは、料理家として懐石料理の世界で修行されてきた経験があるからだ。専門性は一朝一夕に身につくものではないし、現場経験を通じて着実に学んでいくしかない。

興味を持ちたいテーマは下記の通り。

  • コミュニティ論や利他学など、近年の動向
  • 東洋思想と日本思想のざっくりとした理解
  • 社会科学(保守思想、民主主義)の深堀り

これに加えて、古典的な長編小説を1冊読み切りたい。 2023年も、引き続き読書会やブログなどは継続しつつ、読書ライフを楽しんでいきたい。

【書評・感想】『陰翳礼讃』(谷崎潤一郎・著 大川裕弘・写真)

パイ・インターナショナル社から出版されている「ビジュアルブック」が評判がよいということで、 谷崎潤一郎『陰翳礼讃』を手にとってみました。

陰翳礼讃

陰翳礼讃

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英訳版タイトルは『In Praise of Shadows』。こちらの方が直接的な表現で意図が伝わりやすいです。 谷崎の本はどれも最初は格式高い日本語にたじろぐのですが、読んでいくと魔術に取り込まれたように病みつきになるんですよね。不思議な作家です。

写真家・大川裕弘が谷崎の文章にあわせて写真を掲載していて、陰翳礼讃の世界観がより視覚的にイメージしやすい仕上がりになっています。 写真も光と影を活用したアートであることには違いなく、太陽の光をどこまで入れ込むかによって、同じ景色でもまったく仕上がりが変わってきます。
(よく日の出や日の入りは「ゴールデンタイム」と呼ばれます。)
そういう意味では、光と影の表現は、「文章」よりも「写真」が得意とする領域なのかもしれません。

そこをあえて文章のみで表現したところに、この本の魅力がつまっているといえるでしょう。 この記事では、紹介されているテーマの中でも気になったものをいくつか取り上げてみます。

目次

紹介されているテーマ

西洋から輸入された文明の利器について

文明の利器を取り入れるのにも勿論異議はないけれども、
それならそれで、なぜもう少しわれわれの習慣や趣味生活を重んじ、
それに順応するように改良を加えないのであろうか

照明、暖房、そして便器など、西洋から輸入された文明の利器について語られます。 もう少し日本人の趣味趣向にあった形で進化すればよかったのにと嘆いています。 西洋人が頭から不浄扱いした「厠」でさえ、日本人は「風流あるもの」に変えてしまったといいます。

「さえば日本の建築の中で、一番風流にできているのは厠であるとも云えなくない。」

廁、絶賛です。 今となっては、かえって「別棟にある廁」など面倒で嫌う人の方も多そうですが。 戦後になると照明や暖房などが「品質の良い日本製品」としてもてはやされたのも、皮肉ではあります。

声や音楽における「間」について

蓄音機やラジオにしても、もしわれわれが発明したなら、
もっとわれわれの声や音楽の特長を生かすようなものが出来たであろう。
(中略)
話術にしてもわれわれの方のは声が小さく、言葉数が少く、
そうして何よりも「間」が大切なのであるが、
機械にかけたら「間」は完全に死んでしまう。
そこでわれわれは、機械に迎合するように、却ってわれわれの芸術自体を歪めて行く。
西洋人の方は、もともと自分たちの間で発達させた機械であるから、
彼等の都合のいいように出来ているのは当たり前である。
そう云う点で、われわれは実にいろいろの損をしていると考えられる。

20世紀に入っても日本に音楽が輸入されなかったとしたら。 例えばビートルズが流行らなかったり、黒人音楽であるジャズが入ってこなかったとしたら。
きっとまるっきり違った音楽文化になっていたでしょう。
けれども、「話術」に関しては今の時代でも理解できる部分はあります。 声が小さく、言葉数が少く、間を大切にする。 日本語は力強い演説には不向きですが、場に溶け込むにはよくできた言語ではありますね。

器物について

われわれは一概に光るものが嫌いと云う訳ではないが、
浅く冴えたものよりも、沈んだ翳りあるものを好む。
それは天然の石であろうと、人工の器物であろうと、
必ず時代のつやを連想させるような、濁りを帯びた光なのである。

西洋人は食器にも銀や鋼鉄やニッケル製のものを用いてピカピカに磨くが、われわれ日本人は「光るもの」を嫌うといいます。 東京に住んでいた頃、合羽橋の陶器屋へ行っていくつか食器を買いましたが、「形が均一でピカピカのもの」よりは「形が不揃いで手道具感のあるもの」を好みました。 なので谷崎のいう美的感覚がわからなくもないですね。

先日「柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年」と題された展示会がありました。 100年経っても民芸の価値が再評価されているのも、日本人に馴染み続けるものだからかもしれません。

料理やお菓子について

かつて漱石先生は「草枕」の中で羊羹の色を賛美しておられたことがあったが、
そう云えばあの色などはやはり瞑想的ではないか。
玉のように半透明肉待った肌が、奥の方まで日の光を吸い取って、
夢みる如きほの明るさをふくんでいると感じ、あの色合いの深さ、複雑さは、西洋の菓子には絶対に見られない。
クリームなどはあれに比べると何という浅はかさ、単純さであろう。

クリームのディスりっぷりに笑っていまいました。
生クリームとあんこの入ったどら焼きなど、どうなってしまうのでしょうか。 それはさておき、確かに羊羹は深みのある色づきをしていますね。

あのねっとりとしたつやのある汁がいかに陰翳に富み、闇と調和することか。
また白味噌や、豆腐や、蒲鉾や、とろろ汁や、白身の刺身や、
ああ云う白い肌のものも、周囲を明るくしたのでは色が引き立たない。
(中略)
かく考えてくると、われわれの料理が常に陰翳を基調とし、
闇というものと切っても切れない関係にあることを知るのである。

照明を落とした空間のほうが料理が美味しく見えるということがあります。
これは和食に限らず、洋食でもレストランでは演出として間接照明がよく利用されている様子をみかけます。
和食は淡白なものが多いので、単純に明るすぎる照明では料理がコントラストで負けてしまうということもあるのだと考えます。

なぜ暗がりの中に美を求めるのか

案ずるにわれわれ東洋人は己れの置かれた境遇の中に満足を求め、
現状に甘んじようとする風があるので、暗いということに不平を感ぜず、
それは仕方のないものとあきらめてしまい、光線が乏しいなら乏しいなりに、
却ってその闇に沈潜し、その中に自らなる美を発見する。

われわれ日本人は、日常に美を見出すのが得意だということでしょうか。
前出の厠もそうですが、「なんでもないものをいかに美しく見せるか」ということにこだわる人種なのですね。 生花にせよ、茶道にせよ、常に「引き算の美学」を感じます。

われわれの思索のしかたは、とかくそう云う風であって、
美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳のあや、
明暗にあると考える。

なんとカッコいい表現でしょう。
「陰翳のあや」。いつか使ってみたい。
この文章には、本書で谷崎が伝えたかったメッセージが詰まっているように感じました。
日本人の思索そのものに、陰翳や明暗といったコントラストによる対比を取り入れる文化が根付いているのかもしれません。

まとめ;美意識にも切替えが必要

『陰翳礼讃』は谷崎自身が他のエッセイでも述べているように、「西洋人に向けて」書かれたという部分が大きいと考えます。
そのためか、日本の美意識についてかなり贔屓目に書かれている印象を受けます。

言うなれば、ちょっと頑固なおじいちゃんから「昔の日本文化はよかったんじゃよー」と説教を受けているような気持ちになる面もあります。
懐古主義のおじいちゃんが同じ話ばかり繰り返すなら耳を塞ぎますが、海外でも読まれる続ける名著だけあって、とにかく文章表現がカッコいいです。 なので、スルッと最後まで読めてしまいます。

本書を読んでみた感想としては、美意識には切替えが必要だということです。日本の寺社仏閣などを訪れて、古来の日本文化を楽しむのであれば、本書のような楽しみ方は必要かもしれません。
けれども西欧文化が輸入されて100年以上たった今では、「西洋的な美」も十分に生活に溶け込んでいると考えます。

この文章はMacBookで書いていますが、谷崎が現代に生きていればApple社のデザインをどう評価したでしょうか。

「禅の趣を感じる」などと肯定的だったでしょうか。
それとも、「アルミニウム素材が均一で無機質すぎる」と評価したでしょうか。

プロダクトデザインに関しても、もはや「日本の美学」一辺倒では語れない時代になっています。
けれども、日本人として、日本古来の美を保ち続けていくためには、「陰翳のあや」を知っておく必要はあるでしょう。

以前に、本書でも写真が採用されている長谷寺を訪れたときのことです。
本堂を両側から眺められるようになっており、奥に見える景色が緑に色づいていて見事なコントラストを成していました。

このような風景をみて「美しい」と感じるのは、日本人ならではの感性でははないかと考えます。

▼長谷寺本堂(2021年4月後半撮影) 長谷寺本堂

いずれの国の文化風土を楽しむにせよ、「日本人らしい感性」はずっと大事にしていきたいですね。

2022/06/19

<参考文献>
文:谷崎潤一郎 写真:大川裕弘『陰翳礼讃』(パイ・インターナショナル、2018)
谷崎潤一郎『陰翳礼讃』(角川ソフィア文庫、2014)

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【ネット試験特化】日商簿記2級に一発合格するためにやったこと

日商簿記2級

先日、日商簿記検定2級のネット試験を受験し、無事一発合格することができました。 合格に至ったポイントは、2020年12月から導入されたネット試験(CBT方式)に特化した勉強法にシフトしたことだと振り返ります。

ネット試験については、商工会議所のQ&Aにある通り、「合格証は紙の試験と同等の価値を有する」と明記されています。

日商簿記検定試験(2級・3級)ネット試験について | 商工会議所の検定試験

ネット試験受験に関しては、多数のメリットがあります。

  • 受験日時をテストセンターの予約状況により自由に選べる
  • テストセンターが近所にある可能性が高い
  • 紙の試験のように勘定科目を手書きする必要がない
  • 合格率にブレが少なく、難易度が平準化されている

このような理由から、ネット試験を受験しない手はないと考え、これに特化した勉強法で望むことにしました。 具体的に、やったことは下記のとおりです。

順番に説明していきます。

教材をクレアールからパブロフ簿記に乗換えた

当初はYoutuber両学長もオススメしていたクレアールの通信講座で勉強していました。

www.crear-ac.co.jp

ちょうど3級も復習も兼ねて受講したいと思ったので、2,3級コースを申し込みました。キャンペーンで33,000円ぐらいでした。 テキスト、問題集に加え、講師の動画に過去問もついてくるので、当初は教材はこれだけで十分だろうと考えていました。

実際、3級の復習まではクレアールのテキストだけで全く問題がなく合格できました。 (学生の時に合格して以来、10年ぶりの受験でしたが、難易度は上がっていると感じました)

しかし、いざ2級の範囲に入ってみると、初見でけっこう難しい問題も混じっています。 特に商業簿記の論点は複雑なものもあって、解説が詳しくない場合などは別途講師に質問するなどの方法を取らなければ疑問点を解消できませんでした。 この解説は自分に合っていないのかも〜、とも思い始め、他のテキストへの変更を検討することにしました。

そこで試みたのが、簿記アプリやネット試験模擬問題などで評判の高い「パブロフ簿記」教材への変更でした。 総仕上げ問題集の解説もすべて「下書き」つきで解説してくれていて、難しい問題も解説を読めば理解できました。 試験の3ヶ月前には、問題集、アプリ、模擬問題とすべてを「パブロフ簿記」へ統一して勉強を進めることにしました。

パブロフ教材が優れていると思った点は、下記のとおりです。

  • 簿記アプリで仕訳特訓ができる。
  • 総仕上げ問題集は、著者の下書きつきで解法の手順が理解しやすい。試験でどのような下書きを書けば良いか理解しやすい。
  • ネット模擬試験が充実している。
  • 難易度の高い論点(税効果会計、連結会計など)に関しては、You Tube動画の解説がある。
  • 勉強している上でつまづきやすい論点は、WEBページで解説がある。

簿記2級のテキストは充実しているので、好みでどれを使っても問題ないでしょう。 ただし、近年導入されたネット試験に特化した対策を取るのであれば、パブロフ教材は非常に相性が良いと考えます。 各教材の具体的な活用法について、時系列に沿って紹介していきます。

【試験半年前】スキマ時間は簿記アプリで仕訳を特訓する

簿記の問題が解けるようになるには、商業簿記・工業簿記とも「仕訳が瞬時に書ける」ことが合格への近道です。 そこで移動中や空き時間にスマホを触れる時間があれば、パブロフの簿記アプリを起動して1問でも多く仕訳問題を解くことにしました。

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この簿記アプリが優秀で、下記の点で重宝しました。

  • 商業簿記は難易度を1〜3段階に分けてくれている
  • ランダム、チェック問題のみなど多様な方法で総復習できる
  • 仕訳の手順を説明→勘定科目の説明と解説が充実している
  • 解説のコピペが可能で、メモアプリへと転記できる(※個人利用に限る)

まずは難易度1〜3まで順番に解いていきます。1周目は全く歯が立たなくて、大部分の問題を間違えます。 けれども、ここで挫折してはいけません。解説を読みながら、学習を続けていきます。 アプリの解説は充実していて、仕訳の考え方を説明した後、勘定科目の注意点なども詳細に掲載されています。 この解説をiPhone純正のメモ帳に転記しておき、デジタル版間違いノートとして活用していました。

アプリを何周もしていると、問題を見ただけで瞬時に仕訳が思い出されるようになってきます。 この段階まで来ると、総合問題なども格段に解きやすくなり、問題を解くスピードが一気に上がります。

やはり簿記の勉強は仕訳特訓に限ると感じました。 今ではスキマ時間に簿記アプリを起動することもなくなり、手持ち無沙汰に感じるほどになりました。

【試験3ヶ月前】総仕上げ問題集の「基礎」問題を徹底的に叩き込む

まずは総仕上げ問題集の商業簿記と工業簿記を購入して、工業簿記から順に取り組み始めました。 工業簿記の方が問題集が薄く、またパターンさえ覚えてしまえばどんどん解いていけるので、とっかかりやすかったです。 (商業・工業の得手不得手は人によるでしょうが、現行の日商簿記2級の出題範囲では、明らかに商業簿記の方が範囲が広いです。)

総仕上げ問題の中でも特に有用だったのが、難易度を「基礎」と「応用」と2種類に分けてくれていることでした。 商業簿記の第1問・仕訳問題は「基礎」「応用」関わらずすべてに目を通しましたが、他の単元は「基礎」の問題を完璧にマスターすることに時間を使いました。

理由は、120分で考えさせる問題の出題される紙の試験と比較して、ネット試験では基礎的な問題を短時間で解く方式へと変更されたという情報をキャッチしたからです。

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応用問題を解くと基礎問題への理解が深まるので、1度は解いておくべきでしょう。けれども、中には理解にかなりの労力を要する問題もあり、ネット試験ではそこまでを要求されない場合が多いです。 そのため、難易度の高い応用問題については解けなくても解説を読む程度にとどめました。

【試験1ヶ月前】ネット模擬試験6回分を受けて実践のスピードに慣れる

試験1ヶ月前になってからは、パブロフ問題集に付録としてついている「ネット試験模擬問題」を実際にブラウザでアクセスして解いてみました。 このネット試験のUIも良くできていて、本番試験で戸惑うこともほとんどありませんでした。 (本番試験ではマイナス表記すると”△”表示となったが、違いはこれぐらいだった)

総仕上げ問題集とアプリを購入すると、商業×2回、工業×2回、アプリ各1回と合計6回分の付録がついています。 総復習の意味もあり、すべて90分の制限時間内でといてみて、70点以上を確保できるように仕上げました。

ネット模擬試験の数をこなすことによって、①90分というスピードに慣れること ②ネット試験での出題形式に慣れること ③自分の苦手な単元を知ること ができました。

【試験直前】試験直前は間違いノートの作成と見直しに時間を使う

試験数日前からは、「間違いノート」の作成と見直しに時間を使いました。 「間違いノート」には、各テキストで間違えた問題とその解法を転記していきます。 具体的には、前述した ①簿記アプリの仕訳 ②ネット模擬試験で間違えた問題 ③総仕上げ問題集の基礎単元で間違えた問題 を中心に転記しました。

「間違いノート」を作成すると、自分の苦手分野が何か明確になってきます。 私が何度もミスして苦手としていた論点は、以下の通りです。

<商業簿記>
* その他有価証券の税効果会計
* 外貨建取引の為替予約
* 有価証券の端数利息
* 利益準備金の積立
* 契約資産、保証債務など追加された細かい論点
* 連結会計のアップストリーム

<工業簿記>
* 個別原価計算(下書きを間違わず書くことが苦手)
* 製造原価報告書と損益計算書の「原価差異」の扱い

つまづきやすい単元については、パブロフ簿記のWEBサイトに注意点がまとめてあるので重宝しました。

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【今後】日商簿記2級を取得して

日商簿記2級は独学で勉強できるギリギリのラインの試験であると感じました。 これ以上難しいとテキストや動画教材のみでの独学では厳しく、講師の存在や同じ目標を持って勉強に励む仲間がいなければ途中で挫折していたかもしれません。

資格取得によって毎日勉強する習慣も生まれ、簿記の知識が身についた以上に得られたものは大きかったです。 勉強に充てていた時間がすっぽり空いたので、次に何にチャレンジするかはゆっくり検討したいと思います。

これから簿記を勉強しようとしている方の、何かの参考になればうれしいです。

以上、お読みいただきありがとうございました。

2022/06/18