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『ゼロからの資本論』から考える地方自治

昨日は統一地方選挙の日でした。 住んでいるエリアが少しでも元気になることを願って、みなさん投票に行かれたことと思います。

今回はそんな「地方自治」を考える上で、多くのヒントをくれる一冊をご紹介しようと思います。 「ゼロからの資本論」(斎藤幸平・著)です。

斎藤幸平さんは、「人新世の資本論」という本が一躍ベストセラーとなり、若き日本のマルクス研究者として著名になりました。前著では、「脱成長コミュニズム」という言葉を使って、行き過ぎた資本主義を是正しなければいけない。経済的な成長をひたすらに追い求めるのではなく、「脱成長」と「コミュニズム」という考え方を取り入れていかなければ、やがて世界を破綻してしまうだろうと述べました。この過激な言葉も相まって、「人新生の資本論」はベストセラーになり、かつてのマルクス主義とは違った新しい見方が広まりました。この点に関して斎藤さんの功績は大きいと考えます。

もともとマルクス主義と言うと、「革命につながる思想」みたいなイメージがあって、とっつきにくい印象がありました。本屋へ行っても、マルクス・エンゲルスの書棚だけ妙にいかつくて、近寄りがたい雰囲気でした。内田樹さんら、好きな作家が「マルクスは読んだほうがいいよ」と語っていても、なかなか「入門書」にまで手が伸びなかったのです。 ところが「人新世の資本論」のヒットによって、原著は読めなくても、そのエッセンスをまとめた本は手に取りやすくなりました。

斎藤さんはマルクスの資本論に隠された別のメッセージを彼の残した膨大なメモから解読し、晩年のマルクスが辿りつこうとしていた「資本主義を超えたコミュニズム」という思想に気づきました。晩年のマルクス思想を研究することによって、今の社会を打破する方法を閉塞的な社会を打ち破る方法を模索しているのです。

「商品」と「価値」

マルクス主義を考える上で最も根底にある概念、それは「商品とは何か」と言うことです。これを考えるにあたって、まず知っておかなければならないのは、「使用価値」と「価値(交換価値)」は別の意味があるということです。

一つは、「使用価値」という顔です。「使用価値」とは、人間にとって役立つこと、つまり人間の様々な欲求を満たす力です。 水には喉の渇きを潤す力があり、食料品には空腹を満たす力があります。マスクにも、感染症の拡大を防止するという「使用価値」があります。生活のために必要な「使用価値」こそ、資本主義以前の社会での生産手段の目的でした。
(p.38 『第1章 商品に振り回される私たち』)

一方で、資本主義において、商品の価値は生活上必ずしも必要なものだけにつくとは限りません。「儲かるモノ」と「必要なモノ」は必ずしも一致しないのです。重要なのは、商品のもうひとつの顔、「価値」です。

「使用価値」の効能は、実際にそのものを使うことで実感できますが、「価値」は人間の五感では捉えることができません。マルクスも「まぼろしのような」性質だと言っています。日常生活では商品に「値札」をつけて、かろうじてその輪郭をつかむことができますが、目に見えない不思議な力が、身近な商品にはあるのです。そして、この価値という不思議な力が、市場の拡大とともに、社会に大きな力を与えるようになっています。
(p.40 『第1章 商品に振り回される私たち』)

さらにマルクスは、この「使用価値」を離れて、資本主義的な意味での生産量が増えていくこと、つまり際限なく増殖していく「価値」を、「剰余価値」という言葉で表現しました。マルクスの生きていた当時の西欧諸国では、今よりもを労働者が劣悪な条件で働かされていて、1日16時間労働で、寝食以外の時間は全て工場労働に費やされるようなそのような環境であったといいます。このような環境下で労働者たちは価値を増大していくために2つのことを迫られます。

ひとつは、なるべく長時間働いて生産量を上げるということ。
(絶対的剰余価値)
もうひとつは、何らかの形で生産効率を上げるということ。
(相対的剰余価値)

この2つによってしか生産量アップは見込めない。これが資本論における資本家が目指すとされている考え方です。これを繰り返すことによって、生産量は労働者の労働力以上に増大していく。ここで生まれるものが「剰余価値」といったものです。

以上が、『資本論』の冒頭で語られるベースとなる主張ですが、本書のポイントはこの先にまで議論を進めていることにあります。『資本論』の基本的な考え方に沿って資本主義を進めていけば、そこには必ず問題が起きる。例えば環境問題。資本主義は身の回りのあらゆるものを商品に変えていくので、剰余価値を増やしにくいもの、例えば廃棄物などを経済圏外へと捨てて見えないようにし「外部化」していく。

ポイントは「脱商品化」と「コモンの再生」

この点について、本書ではもう一つのキーワードである「物質代謝」と言う言葉を使って説明をしています。「物質代謝」とは、人間を含めた生物は生命の循環の中で生きている。自然環境や生物へと働きかけることによって、生きる術を得ているということです。つまり、私たちが資源の外部化を行うことなく、経済システムを機能させるのであれば、人間たちの周辺にある自然や生物との共存を考えていく「物質代謝」という考え方を根底としてなければ、社会システムを永続することはできないという考え方がある。現代の社会システムを考えると、産業革命以降は、「人間と自然の物質代謝」という、生物が共存するためのルールを無視して、資本主義を走らせてきた。そんな印象を持ちます。

人間は、絶えず自然とやりとりしながら生を営んでおり、その”働きかけ”が、すなわち人間の労働でした。ところが、資本主義のもとで労働が価値増殖のために行使されるようになった結果、人間の労働力は粗雑な扱いを受けるようになったのです。
(p.130 『緑の資本主義というおとぎ話』)

では私たちが資本主義の次を想い描くための未来とは一体どんなものなのでしょうか。著者の主張では、ポイントは「脱商品化」にあるといいます。身の回りのものを何でも商品に変えていく資本主義と言う考え方に対抗すべきポイントはなんでもかんでも商品にすることを、避けるべきだというのです。

著者は、ドイツの医療体制や教育体制を事例として挙げています。ドイツでは、何十年にもわたって学生を続ける人がいる。なぜなら、学生であれば交通費も安く済み、また教育は無償化されているので、学生を続けることに基本的にお金をかからないように教育制度が整っているということです。また医療を受けるのもほとんど無償化されている。これによって必要な生活インフラの「脱商品化」を実現しているのです。ドイツは資本主義国ですが、「脱商品化」をすすめることで、物象化の力にブレーキをかけているのです。

私が留学していたドイツでは、事情が大きく異なります。なんと、大学を4年で卒業する人のほうが少なく、6年かかるのはいたって普通。博士課程まで入れると20年ぐらい学生をやっている人がいることに、留学当初は衝撃を受けました。 (中略) これこそが、福祉国家の研究者であるイエスタ・エスビン=アンデルセンが「脱商品化」と呼んだ事態です。つまり生活に必要な財(住居、公園)やサービス(教育、医療、公共交通機関)が無償でアクセスできるようになればなるほど、脱商品化は進んでいきます。
(p.169 『第5章 グッバイ・レーニン!』)

このような考え方で世界を見渡してみると、例えば今の中国は、単に国家が資本主義を推し進めているだけの存在であるということに気づきます。著者は、中国のことを「国家資本主義」と呼んでいます。中国は、文化大革命によって社会主義国家ではなくなったが、資本主義国家アメリカと同様の資本主義になったわけではなく、国家または官僚が国民から剰余価値を搾取するという国家資本主義になっただけだと述べています。この説明には、なるほどと納得しました。資本主義が行き過ぎてしまっているかは、この剰余価値の搾取があるかどうかという点を見ることが重要なのです。

感想など

本書を読んでいて、「あれ?日本って剰余価値の搾取がどんどん進んでいるかも」と思えたのが一番の発見でした。 「郵政民営化」にはじまり、「電力自由化」「通信事業者の自由化」など、ここ20年ぐらいで公共インフラだったものが「商品化」した事例はたくさんあります。

私は大学卒業時に大学院への進学も少しだけ検討しましたが、文系だったこともあり、企業との縁もあって就職してしまいました。ドイツの事例などを読んでいると、もう少し学生を続けたかったな、日本が将来学生に寛容な社会に変わってくれればなと思う面もあります。

一方、卒業してすぐに就職したことで、「周囲のモノを商品に変える」能力は身につきました。 社会人2年目ぐらいのことでしょうか。上司と営業車で街を走り、会話なくぼんやり街並みを眺めていると、「どこに自社の製品が使われているか、どこに使ってもらえそうか、考えながら走るんやで」と言われたことを思い出します。

「商品化せず、コモンズを増やしていく」という考え方のほうが、いまは馴染む場面もあります。

個人的には、「脱成長」という言葉は好きではありません。 今の日本は衰退フェーズにあるのかもしれませんが、「脱成長」を標榜してしまうと、もう成長がない終わった国と認めるようでなんだか寂しいです。

「コモンの再生」あたりが最も馴染みやすい表現かもしれません。

斎藤幸平さんのメッセージは提言すべてに賛同できなくても、心に響くものがあります。 「資本論」のエッセンスを新書で気軽に学びたい方に、ぜひおすすめします。

以上、長文お読みいただきありがとうございました。

<参考文献>
斎藤幸平『ゼロからの資本論』(NHK出版, 2023)
白井聡『武器としての資本論』(東洋経済新報社, 2020)