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ウクライナ問題から、ロシア・東欧を舞台した長編小説「オリガ・モリソヴナの反語法」を読み返した

ウクライナ侵攻がはじまってしまった。 「軍事侵攻」という言葉を見聞きして、やりきれない気持ちになった。 グローバルに情報が開かれた現代においても、こんな暴挙がまかり通るのだ。

私は1冊の本を思い出し、読み返してみることにした。

「オリガ・モリソヴナの反語法」(米原万里・著)

スターリン政権下の、激動のロシア・東欧を生き抜いた踊り子の生涯を追った長編小説である。 著者はロシア語通訳者だった故・米原万里さんで、翻訳者・文筆家として活躍された方だ。

本書は彼女のプラハ・ソビエト学校時代の実体験をもとに書かれた物語だが、参考文献リストには日本語文献とロシア語文献併せて100冊近くの書籍があり、史実に基づいたノンフィクションの要素もたっぷり含まれている。独裁政権下での不条理な世界に生きた人々を、見事な筆致で描いてみせた傑作だ。

生涯にわたってロシアと社会主義に向き合ってきた米原万里さんの言葉に耳を傾ければ、「現代の不条理」を生き抜くヒントが見つかるかもしれない。 いま私たちにできることは、「突如として戦乱に巻き込まれた人たち」について想いを巡らせることではないだろうか。

「強く生きる女性たち」に励まされる

あらすじを簡単に紹介する。

舞台は1960年代のチェコ・プラハ。 家庭の事情でソビエト学校に入学した小学生の志摩は、舞踊教師、オリガ・モリソヴナに魅了される。 オリガは既にかなりの高齢の様だが、引き締まった肉体でダンスは天才的。

ただし先生が大げさに褒めたら要注意。 「美の極致!」などと言われればそれは罵倒の裏返し。 学校中を轟かす、独特の「反語法」を使うのだった。 その先生が突然長期に休みをとり、志摩の中の”謎”は深まるのだった。

オリガ先生はいったい何者だったのか? 30年後、ソ連の崩壊した翌年、42歳になった志摩はモスクワに赴く。

伝説の踊り子は、スターリン時代をどう生き抜いたのか。 驚愕の事実が次々と浮かび上がり、想像を絶する過酷な歴史が現れる。
(単行本の帯紹介文より引用)

本小説の登場人物たちは、みんな個性豊かで生き生きと描かれている。

小学校時代の憧れだった舞踊の老教師オリガ・モリソヴナ。 オリガと仲の良かった、フランス語の老教師エレオノーラ・ミハイロヴナ。

二人の謎を解明するのを手伝ってくれる、かつての級友たちも登場する。 親友で28年ぶりに再会したカーチャ。小学校時代にも踊りの天才として輝いていたジーナ。 エストラーダ劇場のプリマであるナターシャ、衣装係の老婦人マリヤ・イワノヴナ。

彼女たちの人生は、振り返って決して幸せなものだったとは言えないだろう。 スターリン政権下、第二次世界大戦下を生き抜いた二人の老教師は、大粛清で大切な人を失い、ラーゲリで壮絶な日々を過ごした。 再会した同級生たちも、混乱する政治情勢に巻き込まれながらも、なんとか生活を維持していた。

オリガを追うための重要な手がかりとなるガリーナ・エヴゲニエウナの獄中手記は、史実に基づいた記述なのだろう。 ラーゲリでの目を覆いたくなるようなエピソードの数々は、この世のものとは思えないほど残酷だ。 ナチス・ドイツのアウシュヴィッツを舞台にした「夜と霧」に通づる部分もある。

それでも、この小説に戦争文学としての「暗さ」のみに覆われていないのは、女性たちが運命に逃げることなく、強く生きているからだ。

「ああ神様! これぞ神様が与えて下さった天分でなくてなんだろう。長生きはしてみるもんだ。こんな才能はじめてお目にかかるよ! あたしゃ嬉しくて嬉しくて嬉しくて狂い死にしそうだ」

小説の冒頭の言葉から。 オリガが過酷な生涯にも負けずに生き抜いてきた「力強さ」にあふれている。

彼女が使う反語法は、厳しい現実を笑い飛ばし、明るく生きるための術だったのだ。

米原万里さんの言葉「社会主義が悪なのではない」

文庫本には、巻末に池澤夏樹さんとの対談が掲載されている。

その中で、印象に残った言葉を紹介したい。

米原
 帰ってきたときにはすごく不自由に感じました。日本からプラハに行ったときより、帰ってきて日本の学校に入ったときのカルチャーショックのほうが大きかったですね。みんな違って当然だというのがプラハの学校の考え方で、だから何か共通点を見つけるととても喜ぶんですが、日本の場合は、みんな同じが当然で、みんな同じになることが幸せで、それから外れると劣等感を持ったり、不幸だと考えてたりする。だから違うのが許せない。それが最大のショックでした。

エッセイ集「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」では、彼女の小学生時代の楽しかった思い出についてたくさん語られている。

「ソビエト学校」で我々が想像するイメージとは裏腹に、自由闊達で生きやすい風土だったようだ。 どうやら、社会主義だから生きにくいというわけでもないらしい。

米原
  世界最高のチェロ奏者と言われているロストロポーヴィチについて通訳したことが何度かあるんですが、彼がもう亡命十六年目になったころ、殺されてもいいからロシアに帰りたいと言って、コンサートが終わった後、ウォツカをがぶ飲みして泣き出しちゃったんです。ロシアにいる間は才能があるだけでみんなが愛し、支えてくれたけれども、西側に来た途端にものすごい足の引っ張り合いと嫉妬で、自分はこういう世界を知らなかったから、それだけで心がずたずたになっていると言っていました。

彼にとって、才能は自分のものじゃなくて、神様が与えてくれたものなんです。モスクワ高等音楽院に入って、あまり練習しないのにすごくうまく弾けて、一生懸命努力しているのに自分より下手な人がいる。自分が努力して得たものならそれは自分のものだけれども、これは神から与えられたものだから自分のものではない。そう考えるわけです。

資本主義は競争社会であって、そこには当然ながら他社への嫉妬や蹴落としも生まれてしまう。 「才能は神様が与えてくれたもの」という考え方は、個人主義な欧米諸国ではなかなか理解されないものだろうか。

米原
 究極の極悪人が一人だけいるわけではなくて、悪がシステム的に分散されている。それこそが資本主義国の悪だと思うんです。スターリン時代のソビエトのような独裁体制の国は、悪い人は絶望的に悪い。その一方で、こんなに人がよくて大丈夫なのかと心配になるほどいい人がたくさんいます。でも、猜疑心を持たないいい人が巨悪を許す、という点では、いい人の罪も重い。

独裁体制の国は、「絶望的な悪人」が溢れる国というわけではない。 悪人は一部であり、いい人が巨悪を許すことで、悪のシステムが助長されてしまう。 民主主義、資本主義国家のシステムは、悪が分散しながら存在している。


米原さんの言葉を受け止めながら、今はひたすらにロシアを非難するべきではないのかもしれないと思えてきた。 当然ながら、「軍事侵攻」という決断は許されたものではない。 けれども事前に彼を説得する術はなかったのかのだろうかと振り返ると、西欧諸国が反省すべき点もあるだろう。

独裁的な決断のもとでは、善良な人たちが被害を受けている現実があるということ。
そこには、幾多の人々の運命を変えてしまっている現実があるということ。

私たちが忘れてはいけないことはそういうことだ。

遠い異国の出来事として片付けるべきではない。 事態が一刻も早く収束に向かうことを祈りたい。