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今日は街へ、明日は村へ。その場所で思ったことを綴ります。

【豪華新装版】センス・オブ・ワンダー(レイチェル・カーソン著 上遠恵子・訳 川内倫子・写真)


レイチェル・カーソンの晩年の名著「センス・オブ・ワンダー」が、新潮文庫より装丁を新たに出版された。

カーソン氏の詩的な表現と呼応するように川内倫子氏の写真が散りばめられ、より日本人の感性で本書が味わえるようになった。 また巻末には福岡伸一氏をはじめ、「私はどのように愛読してきたか」を語る4人のエッセイが掲載されている。 なかなか至れり尽くせりな文庫本である。

「センス・オブ・ワンダー」とは、”神秘さや不思議さに目をみはる感性”のこと。

子どもの頃は誰もが授かり持っていたのに、大人になるにつれて次第に失われていく感性。 私たちが置き忘れてきた「センス・オブ・ワンダー」を取り戻すには、いったいどうすればよいか。

私自身の個人的な体験から、振り返って考えたい。

林業をはじめて「センス・オブ・ワンダー」を取り戻す

林業をはじめたことをきっかけに、今年から森の自然に触れ合う機会が増えた。

朝早くから村へ出かけていって、施業を行う山の中を歩く。
昼になればシートを広げて木々に囲まれて弁当を食らう。
都心のオフィスで働いていたころと比べると、ずいぶんと自然が近くなった。

私は京都の都心育ちのため、小さい頃に森に連れて行ってもらった経験は決して多くない。 学生時代は音楽に明け暮れていたので、キャンプや、アウトドア体験も比較的乏しい。
だからこそ、「山林へ出かける生活」は私にとって新鮮な感覚をもたらしてくれた。

もちろん仕事を目的にしているので、危険と隣り合わせの厳しい日常でもある。
虫には刺されるし、急な斜面で何度も転ぶし、雑木の枝葉は時に肌を突き刺す。
イノシシやシカといった動物にも日常的に出会う。
(幸いまだクマには出くわしていない。)
本書のカーソンや甥のロジャースのように”探検に出かける”といった気楽なものではない。

けれどもふと休憩中に自然の声に耳を傾ける瞬間があると、感覚が研ぎ澄まされ、やがて心が落ち着いてくる。 まるで森全体が呼吸をしているようで、その世界の一部として自分が存在していることを意識する。

私はこの半年間で、眠っていた「センス・オブ・ワンダー」を呼び覚ますことができたのだ。

カメラのレンズを向けること

昨年から、ミラーレス一眼カメラを購入したことで、カメラを持って出かけることが増えた。 重いカメラを持っているというだけで、「特別な瞬間を逃すまい」と気合が入る。 すると、自然と目の前に広がる景色に敏感になる。

私は”写真を撮る”という行為には2種類あると思っている。

ひとつは、自分にとって特別なものに出会った時、それを記録するために撮るもの。 もうひとつは、「何を撮ろうか?」と考えながら散策し、特別なものを発見して撮るもの。

iPhoneのカメラにはなくて、一眼レフなどの重いカメラにあるもの。 それは性能面以外に、後者の「発見する」という行為が含まれているか否かということにあるのかもしれない。

何気ない日常にいかに発見をもたらし、風景を切り取るか。

本書に散りばめられている川内倫子氏の写真は、そのお手本のような作品ばかりだ。
まるで”子どもの目線や感性で切り取られる日常”を、そのまま映し出してくれているようだ。

一文だけ、カーソン氏の言葉を引用することにする。

「子どもたちはきっと自分自身が小さくても地面に近いところにいるからでしょうか、小さいもの、目立たないものをさがしだしてはよろこびます。そのことに気が付いたならば、私たちが普段急ぐあまりに全体だけを見て細かいところに気をとめず見落としていた美しさを、こどもたちとともに感じとり、その楽しさを分かち合うのはたやすいことです」

「小さな世界」にレンズを向けるため、私は今日もまたカメラを持って出かけようと思うのだ。

福岡伸一氏の著作も読んでみよう

私は本書の存在を知ったのは、VOOXという音声メディアの福岡先生のエピソードで紹介されていたからだ。 「生命海流 GALAPAGOS」という本の執筆に至った経緯を紹介していた。

福岡先生は、巻末のエッセイで「センス・オブ・ワンダー」を「私のいちばん好きな言葉」と述べている。 新刊もぜひ読んでみたい。

▼リニューアルされた装丁。 新潮文庫のかわいいうちわしおり付きだった。

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2021/9/20